彦根市清崎町の荒神山神社拝殿の隣には牛の銅像(なで牛)がある。この銅像を作り、荒神山の山麓から山頂まで持って運んだ藤村富次郎さん(83)=東近江市長町=に当時の思い出を聞いた。
牛の銅像は幅1㍍28㌢×奥行き60㌢×高さ45㌢の青銅製。背後には再建年月日として「昭和29年4月29日」と刻まれている。藤村さんは16歳の時、銅鋳物の製造業者の金寿堂(東近江市長町)に入社。荒神山神社は牛の銅像が戦争で徴収されたままだったため、4月29日の春祭りに合わせて金寿堂に製造を依頼。藤村さんら職人3人は当時、藤村さんが飼っていた農業用の牛を参考に約半年かけて完成させた。
荒神山には車道がなかったため、藤村さんら職人3人と当時の宮司、総代ら計6人がはしごを横にして牛の銅像をくくり付け、山道を半日以上かけて山頂まで担いで登ったという。
銅像の隣で、藤村さんは「銅像を見るたびに当時を思い出す。私たちが作った物がここにあるという誇りを感じている」と話していた。
「牛にひかれて荒神参り」
荒神山神社は火やかまど(台所)の神様「荒神さん」としてあがめられており、牛が荒神さんの使いになっている。以前の農家では牛を飼っていて、えさを作るためにかまどが不可欠だった。このことが荒神さんと牛が結びついた理由だとされる。
「牛にひかれて善光寺参り」ということわざがあるが、荒神山神社の奥山二三男宮司は「この新年はお使いの牛がいる荒神さんにお参り頂き、家内安全と無病息災の一年を祈念してほしい」と話している。
牛の銅像は幅1㍍28㌢×奥行き60㌢×高さ45㌢の青銅製。背後には再建年月日として「昭和29年4月29日」と刻まれている。藤村さんは16歳の時、銅鋳物の製造業者の金寿堂(東近江市長町)に入社。荒神山神社は牛の銅像が戦争で徴収されたままだったため、4月29日の春祭りに合わせて金寿堂に製造を依頼。藤村さんら職人3人は当時、藤村さんが飼っていた農業用の牛を参考に約半年かけて完成させた。
銅像の隣で、藤村さんは「銅像を見るたびに当時を思い出す。私たちが作った物がここにあるという誇りを感じている」と話していた。
「牛にひかれて善光寺参り」ということわざがあるが、荒神山神社の奥山二三男宮司は「この新年はお使いの牛がいる荒神さんにお参り頂き、家内安全と無病息災の一年を祈念してほしい」と話している。