彦根市肥田町の市指定文化財の古民家「鹿島家住宅」に移住し、木製スピーカーの工房とショールームを兼ねた店「HORAAUDIO(ホラオーディオ)」を営む代表の青柳亮さん(46)と麻美さん(46)夫妻に、商品の特徴や移住のきっかけ、稲枝地域の印象などを聞いた。
滋賀産の木材使用し開発
青柳さんは大学卒業後、団体職員を経て日本とロンドンで木工技術と家具デザインを学び、家具職人や木工技術を生かした業務に携わりながら、音楽イベントの企画運営も行っていた。自身の好きな音楽と木工技術を組み合わせる形で木製オーディオを作り、当時の拠点だった神奈川県藤沢市で2015年3月に創業し、6月に最初の商品のスピーカー「MONO(モノ)」を発売した。
MONOは、機器ユニットの後方から発生する低音をホーンによって増幅させる「バックロードホーン」と呼ばれる方式を採用。現代では珍しい型のスピーカーだが、生活環境に合うように小型化して開発した。高さ34・6㌢×幅15・1㌢×奥行き29・7㌢。
昨年4月には滋賀産のクリやコナラの木材をボディに、滋賀の麻布をサランネット(網状の部分)に使用した商品「NORM(ノルム)」も発売した。高さ29・6㌢×幅14・6㌢×奥行き17・3㌢。
町屋情報バンクで
「昔の職人の技感じ」
鹿島家住宅に引っ越してきたのは2015年の10月。自宅と工房を兼ねることができる物件をインターネットで探していたところ、「小江戸ひこね町屋情報バンク」から鹿島家住宅を見つけた。そして15年7月にあった見学会に参加。古民家を探していたわけではなかったが、「約150年前の人がどういうことを考えて建てたのか興味を持った。周辺の風景も美しかった」と移住を決めた経緯を説明した。
移住後の生活について、麻美さんは「野菜や水がおいしく、地域の皆さんもとても優しくて感謝している」と笑顔を見せた。最近は日本料理や着物など和の文化に興味を持ち始めたといい「衣食住ともに日本を感じる生活になっている」と語った。
青柳さんは木工、鉄工、塗装などすべての工程を鹿島家住宅の土間だった場所に設けた工房で行っている。「工房を支えている柱や梁(はり)を見ると、建設から約150年が経っているのにいまだにしっかりしている。昔の職人の技の高さを知ることもでき、ものづくりの『先生』のように思いながら、私も作っている」と話していた。
製品に関する質問や資料提供など問い合わせはHORAAUDIOのホームページか☎(43)3090。
※【鹿島家住宅】旧肥田城下の農家に江戸時代後期、幅17・8㍍・奥行き25・9㍍の敷地に建設。座敷や土間、台所などがある母屋や外便所のほか、水路に接して食品などの水洗いに利用したかわと、土蔵などのほか、愛知川以北にあった特有の桶風呂が残っている。
母屋は道路に妻面を見せる入母屋造りで、当初は草葺きだったが、現在はトタン板で覆われている。桶風呂はかわとからくんできた水を入れて、柴を燃やして沸かした後、入る仕組み。桶風呂の下には昭和41年(1966年)9月に改修したことを記した墨書がある。平成22年(2010年)に市指定文化財になった。
MONOは、機器ユニットの後方から発生する低音をホーンによって増幅させる「バックロードホーン」と呼ばれる方式を採用。現代では珍しい型のスピーカーだが、生活環境に合うように小型化して開発した。高さ34・6㌢×幅15・1㌢×奥行き29・7㌢。
昨年4月には滋賀産のクリやコナラの木材をボディに、滋賀の麻布をサランネット(網状の部分)に使用した商品「NORM(ノルム)」も発売した。高さ29・6㌢×幅14・6㌢×奥行き17・3㌢。
「昔の職人の技感じ」
鹿島家住宅に引っ越してきたのは2015年の10月。自宅と工房を兼ねることができる物件をインターネットで探していたところ、「小江戸ひこね町屋情報バンク」から鹿島家住宅を見つけた。そして15年7月にあった見学会に参加。古民家を探していたわけではなかったが、「約150年前の人がどういうことを考えて建てたのか興味を持った。周辺の風景も美しかった」と移住を決めた経緯を説明した。
移住後の生活について、麻美さんは「野菜や水がおいしく、地域の皆さんもとても優しくて感謝している」と笑顔を見せた。最近は日本料理や着物など和の文化に興味を持ち始めたといい「衣食住ともに日本を感じる生活になっている」と語った。
青柳さんは木工、鉄工、塗装などすべての工程を鹿島家住宅の土間だった場所に設けた工房で行っている。「工房を支えている柱や梁(はり)を見ると、建設から約150年が経っているのにいまだにしっかりしている。昔の職人の技の高さを知ることもでき、ものづくりの『先生』のように思いながら、私も作っている」と話していた。
製品に関する質問や資料提供など問い合わせはHORAAUDIOのホームページか☎(43)3090。
※【鹿島家住宅】旧肥田城下の農家に江戸時代後期、幅17・8㍍・奥行き25・9㍍の敷地に建設。座敷や土間、台所などがある母屋や外便所のほか、水路に接して食品などの水洗いに利用したかわと、土蔵などのほか、愛知川以北にあった特有の桶風呂が残っている。