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高宮町の座・ギャラリーで上月ひとみさん古事記絵巻展

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 彦根市高宮町の「座・ギャラリー」で2日から、画家の上月(こうづき)ひとみさん(44)=奈良県桜井市=の古事記絵巻展が始まった。
 昨年9月ごろに個展の要請を受けてから、古事記のうち多賀大社の祭神・イザナギノミコトとイザナミノミコトが登場する「天地のはじまり」の項と、高宮神社の祭神・コノハナノサクヤビメが登場する「天孫降臨」の項を紹介する絵の制作に入った。
 長さ約10㍍の和紙にイザナギノミコトとイザナミノミコトが誕生した様子や、コノハナノサクヤビメの夫・ニニギノミコトが三種の神器を携えて筑紫の高千穂に降臨する様を各項ごとに描いた。絵の下には古事記の原文の読み下し文を墨で記している。
 上月さんは「奈良は古事記の研究が盛んで、彦根や周辺の神様について学びながら描いた。彦根や周辺の方に見てもらって、地元の神様について知ってもらえれば」と話していた。会場では上月さんが描いた手ぬぐいも販売している。
 開館は土日のみの午前10時~午後5時、5月1日まで。上月さんも在ろう予定。問い合わせはメール(otokura.kissa@gmail.com)。

彦根城の桜で新たな歴史的事実判明 明治39年に金亀児童公園に植樹

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 彦根城内の桜は元彦根町会議員だった吉田繁次郎が昭和9年2月以降に植えたことは知られており、平成24年4月21日付けの滋賀彦根新聞や彦根市の記録では、大正時代に桜が植樹されていたこともわかっている。しかし、市民が所有する写真により、明治時代にも彦根城内に桜が植えられていたことが判明。城内の桜について新たな歴史の1ページが加わった。   (山田貴之)
 本紙の平成24年の記事では大正時代から昭和初めまでに全国紙や地方紙が報じた彦根城の桜に関する内容を紹介。そのうち京都日出新聞が昭和12年3月15日付で、その年の2月11日の彦根市制施行を記念し「24年前(大正2年)に金亀公園(桜場駐車場付近のことと思われる)に桜を植えた八田宗三郎が桜500本を寄贈し、市は長曽根公園に植樹」と報じていたことを取り上げた。
 この本紙の記事を見た本町1丁目の田中幸稔(ゆきとし)さん(54)から「私の祖父・幸太郎は県外の八田宗三郎商店で奉公していて、金亀公園の桜を背景に八田さんが写った写真も残っている」との情報が本紙に寄せられた。本紙記者が田中さんの自宅で写真を確認したところ、金亀公園に咲く桜や宗三郎らが写った写真の裏に「昭和三十五年四月十一日 大阪毎日新聞彦根支局 向井義朗氏の撮影 彦根公会堂 現金亀公園」「明治参拾七、八年 日露戦勝爲記念 参拾九年寄贈 植櫻五拾五年目 八田宗三郎合掌」と書かれていた。
 この文面からは明治37年(1904)から翌年にかけての日露戦争での勝利を記念し、明治39年に宗三郎が桜を寄贈し、金亀公園の地にあった彦根公会堂に植えられたことがわかる。写真は毎日記者から受け取った宗三郎が幸太郎に贈った物とみられる。
 実際に昭和35年4月13日の毎日新聞の記事によると、宗三郎は彦根市袋町(現・河原)出身で、城東小を優秀な成績で明治21年に卒業し、12歳で伊藤忠や丸紅へでっち奉公に入った後、23歳の春に独立し大阪東区でラシャ(織物)屋を営み、資産家になったという。日露戦争で勝利した翌年の明治39年5月27日に「錦を故郷へ飾り」、楽々園で大園遊会を催し、彦根公会堂に桜の苗300本を記念植樹。その後、昭和12年の彦根市制の実施を記念し桜の苗1000本を「内堀回り彦根港湾から千代神社に移植」と書かれている。
 田中さんによると、祖父の幸太郎は明治30年9月30日生まれで、10代初めから後半にかけて八田宗三郎商店で奉公し、帰郷後の大正時代から昭和10年代まで本町で米屋を営み、戦後は保険代理店を務め、昭和39年12月8日に67歳で亡くなったという。宗三郎の20歳年下で、奉公仲間と「八田会」を結成し、奉公後も各地で定期的に交流していた。田中さんは「宗三郎が桜の苗を寄贈した昭和12年の時は、祖父も彦根にいたため、もしかしたら一緒に植えた桜が今も残っているかもしれない」と話していた。本紙記者が今月6日に金亀公園内を確認したが、古木は見つからなかった。
 市教委歴史民俗資料室室長補佐の井伊岳夫さんは「彦根城が江戸時代の軍事的な機能から、明治時代には観光を目的になっていった歴史的変化がわかる点で興味深い情報だ」と話している。
 (※=現在の金亀公園は金亀球場や競技場などのエリアを言いますが、井伊直弼公の銅像がある金亀児童公園や桜場駐車場、玄宮園なども金亀公園内に入るため、桜が植えられたとみられる桜場駐車場も記事では金亀公園で統一しています)。

西の丸三重櫓前の巨木切られ天守を望めるように

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 彦根城の西の丸三重櫓前にあった巨木が切られ、これまで櫓3階から見えなかった天守を望めるようになり、観光客らが満開の桜と一緒に写真に収めていた。
 切られたのは樹齢約80年のアラカシの木。西の丸三重櫓を訪れる観光客から「(アラカシの木で)天守が見えない」との声が多かったため、市教委文化財課が石垣の保存と景観を良くするため平成24年度から進めている城内樹木整備事業の一環で、業者委託する形で3月末に切った。城内の樹木の切断は、大学教員や樹木医らによる樹木整備ワーキングの判断に基づいて行われている。
 彦根城の職員の一人は「西の丸の櫓から天守が見えるようになり、観光客の皆さんにも喜んで頂いている」と話していた。

井伊直政が徳川家康から譲り受けた孔雀尾具足陣羽織の再現品、四番町ダイニングで展示

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 井伊直政が徳川家康から譲り受けたとされる「孔雀尾具足陣羽織」を再現した作品=写真=が、15日から彦根市の四番町ダイニング3階で展示された。
 孔雀尾具足陣羽織は本能寺の変後、命を狙われた徳川家康が岡崎城へ帰還する途中の伊賀越えで、尽力した直政に与えたとされる。その後、新潟の与板藩の井伊家に家宝として伝わり、現在は与板歴史民俗資料館に保管されている。
 創業270年以上の帯メーカー・誉田屋源兵衛(京都市)が平成21年に実際のクジャクの尾を使って、縦約1㍍60㌢×横約1㍍で再現。同社の山口源兵衛社長の母親・前川ひろさんが彦根市高宮町出身という縁もあり、取り引き先の京美(彦根市中央町)の協力(主催)で公開することにした。
 開館は午前10時~午後6時、最終17日のみ午後5時まで。入場無料。

魚介類の丼を提供する店「市場の食堂」が彦根地方卸売市場にオープン

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 海鮮丼など魚介類の丼を提供する店「市場の食堂」が14日、彦根地方卸売市場(安食中町)1階にオープンした。
 株式会社の彦根魚市合同が主体となって、「魚離れを食い止めたい」という狙いと、同市場に入る店舗数が開場時の平成4年の22店から6店まで減少していることから、市場の活性化を図る目的で食堂を開店することにした。
 海鮮丼のほか、まぐろ丼、うなぎ丼、いかソーメン丼、サーモンいくら丼、カニちらし丼を690円~890円で提供。いなり寿司3個で100円もある。また仕入れの状況では、まぐろ中落ち丼、日替わり丼も用意する。
 約90平方㍍の店舗内にはテーブル34席、カウンター2席がある。同店では「市場ならではの新鮮でおいしい魚介をご堪能ください」としている。営業時間は午前11時~午後2時。水曜定休。駐車は40台分。問い合わせは同店☎(25)3600。

彦根西高と彦根翔陽高が統合した県立彦根翔西館高校の開校式と入学式

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 彦根西高と彦根翔陽高が統合し誕生した県立彦根翔西館高校の開校式と入学式が8日、文化プラザで開かれた。
 翔西館高には9クラスに新1年生360人、西高の2・3年生315人、翔陽高の2・3年生395人の計1070人が在籍。式典には新入生と保護者、2・3年生の一部を含め計約900人が出席した。
 開校式では開校宣言、茶谷不二雄校長への校旗の授与、三日月大造知事の開校の言葉、大久保貴市長の祝辞などがあった。入学式では1年生一人一人の名前が呼ばれ、茶谷校長が「失敗を恐れず夢に向かってチャレンジできる人になってください。西高や翔陽高の先輩と共に学べるのは貴重な体験であり、良き伝統を引き継ぎながら、魅力と活力のある学校にしてほしい」とあいさつ。
 新入生を代表し山口壮太君(15)=正法寺町=が「誇りを持って学則を守り、学業に励み、本校の発展に寄与する」と宣誓した。
 翔西館高は普通、スポーツ科学、家庭科学、会計ビジネス、情報システムの各系列で、県によると、総合学科としては国内最大規模の高校だという。今年度は元の翔陽高の敷地内に新1年生、西高2・3年生、翔陽高2・3年生が通うことになり、制服や校歌、校章、教頭などは新1年生が3年生になるまで別々のまま。 
 県教委によると、当初の計画より遅れている特別教室と体育館は今月28月に完成する。以降、新しい校舎の建設、前校舎・体育館の解体、グラウンドの整備を今年度中に行う予定。旧西高のグラウンドと体育館は部活や授業で活用される。

10歳の誕生日ひこにゃん祝うセレモニー彦根城天守前などで

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 10歳の誕生日を迎えたひこにゃんを祝うセレモニーが13日、彦根城天守前などで行われた。
 平成18年4月13日に、ひこにゃんという愛称が定められ、その日は生年月日として特別住民票にも記載されている。これまでにも誕生日を祝うセレモニーが行われてきたが、区切りの10歳を記念し今年は例年より多くのファンが訪れ、プレゼントも100個以上届けられた。
 天守前で午前に行われたセレモニーには約700人(市発表)が来場。ひこにゃんファンクラブの北村昌造会長や大久保貴市長からバースデイケーキと花束が贈られた。また親善都市の栃木県佐野市のゆるキャラ・さのまるが駆けつけ、ひこにゃんを祝った。北村会長は「更に10年後にはひこにゃんは20歳の成人を迎えます。引き続き応援よろしくお願いします」と語っていた。
 10カ月の息子・旺佑君と訪れていた横浜市の黛(まゆずみ)恵里さん(33)は「偶然にひこにゃんの10歳の誕生日を祝うことができて良かったです。ひこにゃん、おめでとう」と話していた。
 10歳を祝うイベントは13日の午後に2回、彦根城博物館前でもあり、やちにゃんやカモンちゃん、ひこどんら彦根のキャラが駆けつけて祝っていた。
 彦根城内でのお祝いイベント後には、彦根商工会議所でひこにゃんファンクラブによる「お誕生日会」が開かれ、会員ら約170人が参加した。
 お誕生日会ではひこにゃん登場後、北村昌造会長と大久保市長があいさつし、北村会長や「お世話係チーム」からバースデイケーキと花束が贈られ、くす玉が割られた。
 その後、ひこにゃんの日常を紹介したスライドショーが流れる中、会員たちが歓談。再び、ひこにゃんが登場し、あみだくじやビンゴゲームで交流した。

 ひこにゃんのお誕生日会で心温まる場面があったので紹介する◆ひこにゃんが最初の登場を終えて退場する際、ファンサービスとして壇上から降りて、会場の出入り口を利用することになった時だ◆ファンの女性の子どもが会場の床にこぼしたとみられる飲み物がひこにゃんの通り道にあったため、女性がスタッフとしてひこにゃんのイラスト入りの赤いジャンパーを着ていた市職員とみられる若い男性に「床が濡れています」と報告。すると、その若い男性は赤いジャンパーを脱ぎ、その下に着ていた私用とみられるジャンパーを濡れた床の上に敷き、ひこにゃんが濡れないようにしたのだ◆ひこにゃんを思いやる女性の優しさ、ひこにゃんが濡れないように自己犠牲の姿勢を見せた若い男性のあっぱれさに、「ひこにゃんは愛されているなぁ」と、ひこにゃんファンの一人として非常に嬉しく思った次第。   (山田)

城西小児童デザイン元に作られた「城山弁当」の販売、千成亭平田店で

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 彦根市立城西小学校の児童たちのデザインを元に作られた「城山弁当」の販売が16日から千成亭平田店で始まった。16、17日には児童たちも販売の手伝いをした。
 6年生の児童70人が5年生時の3学期に総合的な学習の時間の取り組み「城山プロジェクト」の一環として弁当を作った。その活動を知った千成亭では子どもたちのデザインを取り入れて、平田店の調理長・高橋潤さん(45)自らが弁当を作った。
 弁当はのりとごはんで彦根城天守、サトイモで石垣を仕上げ、レンコンで桜を表現したデザイン。16日は児童8人が専用のコーナーで販売し、40個を約20分で完売させた。1個540円のうち50円が彦根城の環境保全のために寄付される。
 なお城西小は当初、販売日を30日までとしていたが、23、24日の2日間に訂正した。

JR彦根駅西口駅前広場にひこにゃんイラストしたマンホール登場

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 JR彦根駅西口駅前広場に11日、ひこにゃんをイラストしたマンホールが登場した。観光客らの記念撮影スポットになりそうだ。
 ひこにゃんの誕生日に合わせて、彦根市が下水道用のマンホール(直径約60㌢)を取り替えた。市の花・ハナショウブの模様を下地に、ひこにゃんが飛び跳ねるイラストを中央に配し、周囲には外国人の観光客向けに英語で「WELCOME TO HIKONE CITY」と書かれている。滑りにくい加工もされている。費用は工事費を含め約20万円。
 ほかの場所への設置について、市下水道建設課では「各地域で意見を聞いた上で検討していきたい」としている。

忍者の格好をした人数でギネス記録挑戦268人で達成、カロム玉を1000個以上並べる挑戦も成功

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 忍者の格好をした人数でギネス記録に挑戦するイベントが17日、彦根市立城西小学校で行われ、見事268人でギネス記録として認められた。その後のカロムの玉を1000個以上並べる挑戦も成功し、この日は2件のギネス記録が生まれた。
 尾末町の寺村邦子さん(60)による市内で14回目の挑戦となった忍者の格好のイベントは、平成24年11月14日、同25年2月11日に続いて3回目。1回目は衣装が不十分な参加者が多く、2回目は人数不足で、いずれもギネス記録にはならなかった。失敗が続いたため寺村さんもギネス挑戦イベントを一時は開催しない考えだったが、寺村さんの挑戦を知ったNPO法人国際ボランティア学生協会(IVUSA)の学生の依頼を受け再挑戦することにした。
 この日は受付が始まった正午以降、IVUSAの学生約50人をはじめ、城西城北スポーツ少年団野球部の子どもたちらが続々と訪れたが、ギネス記録が認められる250人には微妙だったため、忍者の格好をした学生たちが外で勧誘するなどして人数を集めた。
 参加者は服、頭巾、脚絆などすべて黒色の衣装に着替え、手裏剣や刀など武器を持って待機。1回目の挑戦では衣装が不十分な参加者が多かったため、不十分な参加者には挑戦エリアに入る前に調整が行われた。整列後、5分間の挑戦タイムと審査を経て、ギネス社の公式認定員・マクミラン舞さんが「268人でギネス記録達成です」とアナウンスすると、参加者からは歓声や安どの声があがっていた。
 友人らと参加した西中2年の水野利菜さん(13)=中藪2=は「忍者の格好でギネス挑戦は2回目だった。ギネス達成の一人になることができて、めちゃくちゃうれしい。友だちに自慢できます」と話していた。

 続いて「カロム1000個以上並べる」挑戦イベントも行われ、19人が約30分かけて2142個を66・15㍍並べてギネス記録として認められた。寺村さんは市内での挑戦結果が11勝(成功)4敗(失敗)になったとした上で「忍者の挑戦も成功しほっとした。区切りが良いのでしばらくは休んで、音楽の方を充実させたい」と話していた。

熊本地震の被災地支援 油藤商事の青山裕史さんタンクローリー乗り被災地でガソリン給油、くまモン来彦中止・平和堂募金箱設置

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 熊本地震の被災地を支援する活動が滋賀県内からも始まっている。ガソリンスタンドを経営する油藤商事(豊郷町)専務取締役の青山裕史さん(44)はガソリンを入れたタンクローリーで16日夜に熊本県へ向けて出発し、翌日から支援活動をしている。
 熊本や大分などでは地震が起こった14日夜以降、さまざまな被害が出ており、ガソリンが不足していることを知った青山さんは支援活動を企画。湖南市の谷畑英吾市長の紹介で熊本市の職員と連絡をとることができ、タンクローリーにガソリン4000㍑を入れて16日夜に友人と出発し、翌朝には熊本市役所に到着した。
 熊本市では公用車分としてガソリン半分を同市役所で降ろした後、水道の復旧作業をしている同市の水道修理組合の車両10台にも給油。その後、阿蘇市に向かい公用車に給油した。タンクローリーのガソリンが空になったため、帰路に就こうとしていたところ、被害が大きかった地域の一つ南阿蘇からガソリンと軽油を持って来て欲しいとの要請を受けた。知人だった大分石油の社長の協力で燃料を補給し、18日午後、南阿蘇へ車を走らせた。
 青山さんは本紙に「今回の被災地支援は様々なつながりで実現しました。できる時にできる事をしっかりやりたいです」と話していた。

 ビバシティ彦根で24日に行われる創立20周年記念の「ゆるキャラ大集合」には当初、熊本県のゆるキャラ・くまモンも参加する予定だった。しかし熊本地震の影響で、主催者側では「くまモンの来彦は難しい状況」としており、くまモンの公式サイトでも「出動中止」としている。

 平和堂は15日、熊本地震の被災地を支援するため、各店舗に募金箱を設置した。平和堂150店、ファイブスター95店、丸善8店など計292店舗に5月1日まで設置している。集まった支援金は日本赤十字社を通じて被災地へ送られる。

荒神山神社の社務所や遥拝殿など彦根市指定文化財に

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 彦根市はこのほど、清崎町の荒神山神社の社務所や遥拝殿などを市指定文化財にした。
 新たに指定したのは荒神山神社の社務所、書院、書院中門、遥拝殿。荒神山神社は飛鳥時代の天智天皇の時に近江国四カ所の祓殿が設けられた祭祀場の一つが起源。奈良時代以降は仏教が加わり、神仏習合の地として奥山寺など寺院が複数あったとされる。大坂の陣では井伊直孝の戦勝を祈願し、その礼として護摩殿や書院などが建立された。明治時代の神仏分離令により奥山寺が廃止され、荒神山神社と改称された。明治9年10月以降、本殿、拝殿、神楽殿、神饌所などが落成。同12年4月28日に上棟式竣工報告祭が行われた。
 社務所は境内東側にあり、桁行19・6㍍×梁行11・8㍍、主屋が桟瓦葺き。棟札に「天保十年(1839)九月十八日」、南端の鬼瓦に「天保十二年」と記されている。
 書院は社務所に接しており、畳廊下とつながっている。奥の座敷、次の座敷とも8畳の造り。19世紀前期から社務所の建築時期にかけて建てられたとされる。書院中門は木材の輪郭線が17世紀後半の模様だが、様式から19世紀前期に改修されているという。
 遥拝殿は天寧寺(里根町)にあった井伊家の祖霊社の建物。昭和34年、廃社となっていた荒神山神社の再興を願った有志一同によって移築された。文政8年(1825)に天寧寺に建立された観徳殿で、拝殿と本殿が一帯となっている。今回の4棟の指定で市指定文化財は建造物29件など86件となった。国(23)と県(13)を合わせると122件。

熊本地震、彦根東中学校や彦根青年会議所が募金活動

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 熊本地震の被災地を支援する募金活動が彦根市内でも本格化してきた。そのうち、彦根市立東中学校は生徒会が中心になって21・22日の両日行い、彦根青年会議所は16日から駅前で募金活動をしている。
 東中は18日に生徒会の役員が集まり、委員会組織の一つ協議委員会委員長の久保田しずくさん(14)=3年生=から被災地支援の提案があり、翌日の会議で募金活動を決定。20日の朝の会で生徒会役員が校内の全クラスを回って協力を依頼したほか、昼休みや放課後も呼びかけた。
 21日は生徒会役員の2・3年生25人がくまモンや東中のキャラがイラストされた募金箱を片手に昇降口に並んで午前8時から開始。「熊本の被災地へ支援をお願いします」などと登校する生徒に呼びかけながら15分間募金活動をしていた。
 久保田さんは「今、被災地に何が必要かを考えて募金活動を企画しました。私たち一人一人の力を合わせて被災地のお役にたてることができれば」、生徒会長の村上和央君(14)は「集まったお金は避難している人たちの日用品代に使ってもらいたい」と話していた。支援金は市を通じて日本赤十字社に寄付される予定。
 彦根青年会議所は16日と18日に彦根駅前で、20日に南彦根駅前で募金活動を実施。20日は会員15人が西口と東口に分かれて午後6時~1時間半、募金活動を行い、3日間で約21万2000円が集まった。24日に彦根城内で開催する写生大会でも行う。支援金は日本青年会議所を通じて被災地へ送られる。

 彦根市は20日、市役所で熊本地震にかかわる1回目の市災害支援対策本部会議(本部長・大久保貴市長)を開催。「被災地支援は関西広域連合、滋賀県、各種団体からの要請に基づいて実施する」「滋賀県を通じて要請のあった保健師、被災建築物応急危険度判定士、被災宅地危険度判定士については派遣に向けた検討・調整を行う」などと発表した。
 翌日には県から保健師の派遣要請があり、市は5月3日から8日までの期間で保健師一人を被害が大きかった南阿蘇村に派遣する。現地では県の支援チームに入りながら、避難者の健康管理などを務める予定。

 彦根市共同募金委員会は熊本地震の義援金を受け付けている。6月30日まで。問い合わせは市社協内の事務局☎(22)2821。

夢京橋キャッスルロードのキャラクター「キャッスるん」に

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 彦根市の夢京橋キャッスルロードのキャラクターが「キャッスるん」に決定。デザインを考えた彦根市立城西小学校の4年生の前で19日、発表された。
 児童68人が3年生の時の総合的な学習の時間でキャッスルロードの活性化策を研究し、「ゆるキャラプロジェクト」を進めた。児童一人1作品ずつデザインと名称を考え、児童の代表13人による実行委員会がデザインを合体させたゆるキャラを作り、名称を「キャッスるん」と「キャペろん」の2案に絞った。
 報告を受けた彦根夢京橋商店街振興組合は3月25日から4月10日まで夢京橋あかり館で投票を受付。その結果、キャッスるん788票、キャペろん577票となった。
 集合した児童の前で谷口典隆理事長が投票結果を発表すると、児童からは「みんなで工夫して考えたキャラの名前が決まってうれしい」「キャペろん派だったけれど、キャッスるんに決定して良かった」との声があがり、集合写真の時間ではみんなで万歳をしていた。
 谷口理事長は今後作成する商店街マップやフラッグ(旗)にキャッスるんを採用する考えを示し「今後は着ぐるみも検討したい。ひこにゃんみたいにかわいがってもらえるキャラになるよう、がんばっていきたい」と話していた。

創立20周年のビバシティ彦根でゆるキャラ集って大誕生祭、熊本地震を受けて募金活動に

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 26日に創立20周年を迎えたビバシティ彦根で23、24日の両日、ゆるキャラたちが集っての「20周年大誕生祭」が開催。当初はビバシティのキャラ・ビバッチェくんの誕生会を予定していたが、熊本地震を受けて、急きょゆるキャラたちによる募金活動に変更された。
 2日間でゆるキャラやご当地ヒーロー計約60体が来店し、店内で募金を呼びかけていた。そのうち24日にはひこにゃんをはじめ、いしだみつにゃん、あさ彦、ガリガリくんら30体が参加。一堂に集まる場面ではゆるキャラたちが九州の被災地に向けたメッセージボードを持って1日も早い復興を願っていた。
 当初はくまモンも参加予定だったが、熊本地震を受けて中止となったため、会場にはくまモンのブースも設置。ひこにゃんらがくまモンの看板と一緒に記念撮影に応じていた=写真。

滋賀中央、長浜、湖東の各信用金庫とFAAVO滋賀がクラウドファンディングのパートナーシップ契約締結

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 滋賀中央、長浜、湖東の各信用金庫と「FAAVO滋賀」は21日、クラウドファンディングによる地方創生を推進するためのパートナーシップ契約を締結した。
 クラウドファンディングは群衆(crowd)と資金調達(funding)を合わせた造語で、不特定多数の人たちがインターネットを通して、ほかの人や団体に対して資金を提供したり、協力したりする。
 FAAVOはコンテンツ制作会社「サーチフィールド」(東京都渋谷区)が運営しているサービス。地域ごとに特化したクラウドファンディングの動作環境のことで、運営者が各地域で異なる。地域を盛り上げるプロジェクトをFAAVOのサイト上に立ち上げたり、支援金を提供したりする。平成24年6月にFAAVO宮崎からスタートし、現在55エリアで展開されている。
 FAAVO滋賀はウェブサイト制作会社「Wallaby」(近江八幡市)が平成26年11月に29エリア目としてオープン。これまでに個人やNPO法人など団体を中心に11件のプロジェクトの応募があり、そのうち7件で目標金額を達成している。自治体では長浜市、草津市とパートナーシップ契約を結んでいる。
 今回の3信金とFAAVO滋賀とのパートナーシップ契約の締結により、各信金はインターネットを通じて全国展開を考える企業などの顧客にFAAVO滋賀の取り組みを紹介し、軌道に乗れば資金を融資。FAAVO滋賀は企業への販路拡大が期待できる。

彦根市立図書館は25日に創設100周年、初代と二代の写真展示

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 彦根市立図書館は今月25日に創設100周年を迎える。26日から年内にかけて記念のイベントを開催する。
 彦根の最初の公立図書館は大正時代にさかのぼる。大正4年3月に彦根町金亀(現・桜場駐車場付近)に彦根公会堂が建設され、その一角に図書館建設事務所が置かれ設立に向けた準備が始まった。町民の寄付や町役場・小学校からの蔵書移入により図書3088冊と雑誌1124冊が集まったほか、井伊家から創設費として3000円の寄付があり、大正5年2月1日に同公会堂内に仮オープン。4月25日に当時の文部大臣の認可があり、彦根町立図書館が開館。初代館長には当時の柳瀬銀藏町長が就任した。
 大正13年には中川留三郎の遺産7万4000円が図書館の運営費として町に寄付され、町はそのうち2万5000円を図書館の建設にあて、昭和2年4月29日に四番町(現・本町1丁目の西地区公民館)へ移築。木造モルタル塗りの2階建てで、1階には新聞室や児童室など、2階には大閲覧室や婦人室などが入り、鉄筋3階建ての書庫も建てられた。その後、建物の老朽化と狭いスペースから新館の設置を求める声が高まり、昭和54年11月23日に現在の尾末町の地に三代目が開館した。
 記念イベントの第1弾として26日から市立図書館第1集会室で「図書館100年のあゆみ展」が開催。大正時代の創設期から現在までの年表、初代・二代目の写真、昭和初期のチラシ・ポスター、昭和40年8月に巡回貸し出しを開始した「動く図書館『たちばな号』」の写真、図書館を取り上げた新聞記事などを展示する。5月19日まで。5月23日~31日は市役所1階でも。
 以降、「プレミアム講演会」(5月28日~12月18日)「図書館まつり」(7月9日)「創設100周年記念式典」(10月10日)「リサイクル市」などを開催。

彦根西高校舎で高齢者と最後の交流会

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 彦根西高校の校舎で22日、3年生と地元の高齢者との交流会(さわやか会)が開かれた。西高は今春、彦根翔陽高と統合したため、西高の校舎では最後の交流会となった。
 生徒の敬老意識とボランティア精神の向上を目的に毎年10月に開催。3年前からは交流会の名称を「さわやか会」に変更した。今月末に翔陽高の敷地に新校舎が完成し、生徒たちはそちらに移動するため、今年は早めの開催となった。
 この日は家庭科学科の生徒79人と高齢者41人が参加。高齢者たちはデザインコースの生徒たちと一緒に、画用紙の童子に色鉛筆を使って塗り絵をし、桜のシールでデコレーションを行い、A4サイズの額に入れて完成させた。その後、食物調理コースの生徒たちが作ったタケノコごはんやあおさ入り卵焼き、イチゴ大福などを一緒に食べて交流を深めた。生徒の角田美也さん(18)=米原市=は「高齢者の方と一緒に関わる機会がないので、交流は大事だと思います」、本町3丁目の中村泰昌さん(68)は「時代の流れなので仕方ないが、最後になるのは寂しく、残念に思う」と話していた。
 統合後の2年間は彦根翔西館高と、翔陽高、西高の生徒が同じ敷地で授業を行う。茶谷不二雄校長は「高齢者との交流会を続けるのか、どうか、手法を含めて今後、検討していきたい」と話している。

彦根産のアスパラガス使った料理の試食会

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 彦根産のアスパラガスを使った料理の試食会が21日、小泉町のDining&Bar SLOWで開かれ、ホワイトやグリーンなどのアスパラガスを使った料理が出された。
 アスパラガスのうちホワイトアスパラガスは薩摩町の農家・福原勉さんが市の支援事業を活用しながら「遮光栽培技術」と呼ばれる新技術を用いて栽培に成功。今年度以降、本格的な生産を行う予定。彦根商工会議所では平成26年度から地域資源を活用したブランド開発に取り組んでおり、ホワイトアスパラガスにも着目し、プロジェクトを進めてきた。
 試食会には彦根商議所の会員やマスコミ関係者ら計50人が参加。ホワイト、グリーン、パープル、ピンクのアスパラガスを使ったスープやサラダ、ピザ、フライなど9種類の料理が出され、参加者は一品ずつ食べていた。福原さんは「ホワイトを中心にアスパラガスを彦根中に、全国中に広めていきたい」と話していた。
 彦根商議所は今後、ホワイトアスパラガスの生産拡大と加工品の開発に向けて協力していく。

「野党共闘」の矛盾点

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 24日の衆院補選は北海道5区で自民候補が野党統一候補を破った。一方で京都3区は与党候補が出馬しない中で行われ、民進党候補が当選したが、投票率は戦後最低の30・12%と棄権者が目立った。
 この2つの選挙で注目すべきは与党候補と野党統一候補の対決だった北海道5区の方である。夏の参院選では1人区を中心に自民・公明の与党に対抗する形で、民進・共産らが「野党共闘」と銘打った協力体制をとる。滋賀選挙区も24日、民進・共産・社民の3党が共産候補を取り下げて民進候補に絞ることで合意。▽安全保障関連法の廃止を実現する▽集団的自衛権行使容認の閣議決定を撤回させ、立憲主義の回復を目指す▽安倍政権の打倒を目指す―などの確認書に調印した。
 しかし、この「野党共闘」を分析した場合、矛盾点が幾つか出てくる。まず1点目として、民進党には保守的な考えを持った議員がおり、前原誠司氏や細野豪志氏らは革新色が強い共産・社民との連携には否定的な考えだ。憲法、TPP、原発、消費増税、対米対中路線など国の基本的政策にも相違がある。
 次に2点目として、共産党は共産主義社会の実現を目指している政党であり、民進党は民主主義、資本主義を支持する政党であるということだ。民進党滋賀県連の代表で滋賀2区選出の田島一成衆院議員は「大きな目的を達成するために、違いを超えて野党の力を結集し、頑張っていきたい」と述べたとのことだが、政党や政治家の礎に位置する思想性を無視した姑息な姿勢は批判の的になるであろう。
 その結果が北海道5区であり、北海道民は冷静に「野党共闘」の矛盾点を見極めたと言える。さて滋賀県民は、はたしてその矛盾を見極めることができるのか、参院選での注目点でもある。【山田貴之】
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