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Channel:     滋賀彦根新聞
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映画・柘榴坂の仇討 公開記念特別展

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 桜田門外の変後の一人の彦根藩士の人生を描いた映画「柘榴坂(ざくろざか)の仇討ち」の全国ロードショーを前に、19日から彦根市の四番町ダイニング3階で公開記念特別展が始まった。
 映画は、直弼公の御駕籠回り近習役として仕えていた彦根藩士・志村金吾と、その妻の江戸末期から明治時代にかけての人生をえがいた作品。主君の仇を討つため、生き残った最後の水戸藩士を探し回り、13年後に見つけ出して対決するというストーリー。志村を俳優の中井貴一さん、妻を広末涼子さん、水戸藩士を阿部寛さんが演じている。全国ロードショーは9月20日。
 特別展では、「柘榴坂」と書かれた道しるべ、中井さん着用の衣装、人力車のちょうちん、桜田門外の変時に出された訴状など実際に映画で登場する小道具のほか、ロケ時や彦根市役所来訪時などに撮影された写真のパネルを展示。特報・予告・メイキングの計5分のDVDも放映されている。
 開館は午前10時~午後7時、8月31日まで。


彦根翔陽高・北川玄選手 400㍍ハードルで全国IHで優勝狙う

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 彦根翔陽高校3年生の北川玄選手(18)=米原市岩脇=が、先月行われた近畿インターハイ(IH)の陸上400㍍ハードル(H)で1位となり、きょう30日から山梨中銀スタジアムで行われる全国IHでも優勝を狙う。
 北川選手は双葉中学校から陸上を始め、2年の夏から110㍍Hに取り組み、高校進学後に400㍍Hに転向。徐々に頭角を現し、昨年の近畿IHにも出場した(結果は予選7位)。
 スピードがついてきたため、2年生のシーズン終了後にハードル間の歩幅をそれまでの15歩から14歩に変更。このことで更に速くなり、先月に京都で開かれた近畿IHでは昨年の53秒77から2秒以上縮める51秒69の滋賀県高校新記録で見事優勝。全国IHへの出場を決めた。
 51秒69という記録は今年の高校生のランキングで2位。この種目では昨年の全国IHを制した古谷拓夢選手(神奈川県)が王者として君臨しているほか、今年のランク1位の勝元新羅選手(福岡県)らライバルが多い。北川選手は「近畿で優勝したことで自信がついた。2人にも負ける気はしない。50秒台を出して優勝する」と意気込んでいる。
 翔陽高陸上部の村上拓監督(38)も「何か間違いが起こらない限り、結果と記録はついてくる。それだけ(北川選手は)力のある選手だ」と話している。
 陸上競技の全国IHは30日から8月3日まで開催。400㍍Hは31日に予選、1日に準決勝と決勝が行われる。両日ともNHK(Eテレ)で放送予定。
 北川選手は「最初で最後の全国IH。失うものは何もないので全力で走りたい。応援をして頂けるとうれしい」と語っている。

神藤多喜子さん 日本人本来の食で講演 聖泉大学で

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 「心と身体を育む毎日ごはん」をテーマにした公開講座が26日に聖泉大学(彦根市肥田町)で開かれ、ウェルネスライフ研究所(神奈川県相模原市)主宰の神藤多喜子さんが講義を行った
 神藤さんは、日本人が穀物・野菜・魚介・海藻類・発酵食品を食べてきたため、▽欧米人よりも小柄▽肝臓・腎臓・すい臓がコンパクト▽腸が長いため消化もゆっくり―などの特徴があると紹介。「腸の中で腐敗しやすい動物性脂質を含む食べ物の多食は腸内細菌層のバランスを崩し、血液も汚す」と述べた。
 日本人に最適の食事については、分づき米と雑穀か、水を吸収させてしっかりと炊いた玄米の主食と、味噌汁、化学調味料が入っていない漬物、旬の野菜やキノコ類などを使ったおかずだとし「ケーキや肉などは心が喜ぶのでたまには良いが、食を間違えると体を壊す。毒を貯めない食事をとるべきだ」と語った。
 このほか、ヨーグルトはたんぱく質や脂質を含んでいる、精白糖は体を冷やし悪玉菌やウイルスの栄養になる、(海水塩や岩塩ではない)精製塩はミネラルが欠乏しているため体のバランスを崩す、妊娠中の牛からの牛乳はホルモンバランスを崩す―ことなどをアドバイスした。
 また熱中症の患者が増えていることにふれ「野菜をおやつ代わりに食べていた昔の人は熱中症にならなかった。水分とミネラルをとれば熱中症にはならない。砂糖が入った飲み物をとるから熱中症になる」と指摘。「(砂糖を多く摂取する)『糖化』は脳を老化させる。今は子どもたちの脳も老化しており、のどが渇いていても分からなくなっている」と述べた。

ひこにゃん 近江陽一郎さんへ浴衣贈る

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 彦根ゆかたまつりが26日に夢京橋キャッスルロードで催され、約1万人(実行委発表)が来場した。
 この日は彦根で最高気温37度を超える猛暑だったため、出足は鈍かったが、夕方以降から徐々に増え始めた。通り沿いには、キリンビールから直送のドラフトカーが設置されたり、露店や屋台村も設けられ、賑わいを見せていた。
 ステージでは、近江高ブラスバンド部の演奏、彦根総合高ファッションショー、歴代のひこねお城大使の登場、映画「柘榴坂の仇討」に出演している俳優の近江陽一郎さんの登壇などもあった。
 近江さんはステージへの登壇前に記者会見にのぞみ「試写では何度も泣いた。彦根や滋賀の皆さまに是非、見てほしい映画」と話した。会見後にひこにゃんから浴衣を受け取ると、初めて「実物」を見たというひこにゃんに少し興奮しながら喜びの声をあげていた。

劇団四季ミュージカル・ふたりのロッテ、文化プラザで8月10日 リハーサル見学会も

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 劇団四季のミュージカル「ふたりのロッテ」が8月10日に文化プラザグランドホールで開かれる。24日には主演2人との記者懇談会が文化プラザで行われた。
 ふたりのロッテは、ドイツの作家エーリッヒ・ケストナーが1949年に書いた小説が原作。オーストリアのケーリッヒ湖のこどもの家に、ドイツの別々の場所からやって来たロッテとルイーゼが双子だったことに気づき、別れた両親と4人でもう一度一緒に暮らせるように計画を立てるというストーリー。
 懇談会でロッテ役の高橋怜奈さんは「家族愛をテーマに、歌もダンスもたくさんある作品で、幅広い年齢の方に楽しんで頂けると思います」、ルイーゼ役の吉良淑乃さんは「性格の違う女の子2人の心の変化を見ながら楽しんでほしい」と話していた。
 対象は3歳以上。入場料は中学生以上がS席4500円・A席3500円、小学生以下が3000円・2000円。未就学児の託児申し込みは31日まで。
 午後3時開演だが、同1時~はリハーサルの見学会も実施。リハーサルの風景を見るほか、出演者との質疑応答の時間も。リハーサルの見学会の参加者対象に弁当とサンドイッチを予約販売する。南彦根駅間のシャトルバスも運行。問い合わせは文プラチケットセンター☎(27)5200。

甲子園出場の近江高激励会 滋賀初の全国制覇へ

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 第96回全国高校野球選手権大会へ出場する近江高校(彦根市松原町)の激励会が7月31日、市役所玄関ロビーで開かれた。同校は滋賀大会の6試合中5試合をコールド勝ちし、決勝戦でも完封勝利するなど、正に「横綱相撲」で優勝したことで、激励会の参加者からは「全国制覇」の声が相次いで聞かれた。
 松村良樹校長を先頭に多賀章仁監督や選手20人らが入場すると、市職員や来庁者ら約100人から大きな拍手が起こった。激励会では、松村校長のあいさつの後、多賀監督が彦根東中出身で2年生エースの小川良憲投手の名をあげ、これまでに同校が出場した夏の大会のうち東中出身の2年生エースが2回いたことを紹介しながら「不思議なご縁を感じる。小川投手には県大会の決勝戦のようなすばらしい投球を甲子園でも必ず見せてくれると思う」「全国の強豪校とも戦えるチームであり、心の成長などがまとまれば、いい結果を残してくれるはず」と述べた。

 伊東洋部長が選手1人ずつを紹介した後、大久保市長は、滋賀大会前に多賀監督の表敬を受けた際、自信の表情を見せていたことを明かし「大いに楽しんで良い結果を残してほしい」と激励。市長と谷口典隆議長から校長へ激励金の目録が渡された。
 美濃部尚己主将は「彦根、滋賀の代表として堂々と戦いたい。全国制覇を目指してがんばりたい」と決意を述べた。
 なお市は30日に市役所に懸垂幕(縦15㍍×横1・5㍍)、市役所1階ロビーと市民会館、彦根駅西口に横断幕を設置した。ほかにも花しょうぶ通り商店街や銀座商店街にも横断幕が掲げられている。
小川投手力投で優勝
 7月29日に彦根球場で行われた滋賀大会の決勝戦は近江高が北大津高を4対0の完封で下し、6年ぶり11回目の出場を果たした。試合は彦根東中学出身の小川投手が「今大会一番の出来」(美濃部捕手)という好投で、北大津打線を5安打に抑えて勝利した。
 全国大会は9日に開会式があり、23日に決勝戦と閉会式が行われる予定。組み合わせ抽選会は6日に大阪フェスティバルホールで開催予定。

滋賀中央信用金庫銀座支店ライトアップへ

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 滋賀中央信用金庫は3日から、国の有形文化財でもある銀座支店(河原3)をライトアップする。
 旧彦根信用金庫と旧近江八幡信用金庫が合併して今年で10年を迎えるため、その記念と地域のまちづくりの一環としてライトアップすることに。
 銀座支店の建物は木造2階建ての54平方㍍で大正7年に建設され、当時は明治銀行彦根支店だったが、昭和7年に同銀行が破綻した後、病院として使われ、昭和33年から信金となった。平成23年10月に国の有形文化財に指定された。
 ライトアップは日没後から午後11時まで。設置したLEDは16種類の配色が可能で、4月が桜のピンク色、8月が空色、今年10月が城フェスに合わせて井伊家の朱色など、季節やイベントに合わせて照らす色を変える。初日の3日午後6時50分~は点灯式がある。
 滋賀中央信用金庫は合併10周年を記念し、地域の学校教育の充実を願って県内12市町に総額1150万円を寄付する。同金庫の営業店がある彦根や近江八幡、草津など7市と甲良、豊郷、多賀、愛荘、竜王の各町に寄付。彦根には1日に寄贈した。

落語家目指す西畑奏音君 市内小学校を落語ツアー

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 日ごろから落語をしている彦根市立城西小学校2年生の西畑奏音(かなと)君(7)=長曽根町=と落語家の桂弥太郎さんが7月31日と8月1日、市内小学校で落語を披露した。
 NPO法人芹川が、夏休み期間中に放課後児童クラブで学んでいる子どもたちに落語を見てもらおうと、「子ども落語ツアー」と題して、城西、金城、平田、佐和山、城東の各小学校で2日間に分けて開催。
 そのうち城西小では1~3年生45人が見学する中、前座として西畑君が着物姿で登場し、用意された座布団の上で正座をしながら、「かっぱのかわたろう」のお題を披露。母親の真理子さん(40)と一緒に作った作品で、かっぱの水泳パンツをもらった少年が水泳大会で活躍する様子を巧みな話術で演じ、見学した子どもたちも時折、笑い声をあげながら見ていた。その後、弥太郎さんの落語も行われた。
 落語の後、西畑君は「ちょっと上手にできた」と話していた。3日正午~BSフジで放送される番組「落語小僧」にも出演するという。

一圓家住宅・多賀里の駅で昔の遊び楽しむ

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 古民家で昔の遊びや楽器演奏などを楽しむイベント「おばあちゃんの家の夏休み」が2日、多賀町にある国の登録有形文化財・旧一圓家住宅(多賀「里の駅」)で行われ、彦根や犬上から約60人が来場した。
 子どもたちは、家の周囲でサワガニつかみや虫捕り、家の中でけん玉や杉玉鉄砲、カロムなどで遊んだほか、地元の個人・団体による紙芝居やマジック、オカリナ演奏なども見て楽しんでいた。
 なお、主催した多賀クラブは9月6日午前10時半~「登録有形文化財になった一圓屋敷」をテーマに同家で講演会を行う。講師は滋賀県立大学の濱崎一志教授。同日午前9時~地元野菜の販売も。問い合わせは同クラブの中川信子さん☎090(8791)4470。

お菊の皿 長久寺で公開へ

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 彦根市後三条町の長久寺(松山貞邦住職)は9、10日に大法会を営み「お菊の皿」も公開する。
 彦根藩士・孕石(はらみいし)家の世継・政之進の侍女で相思の仲だったお菊は、政之進の気持ちを確かめようと家宝だった白磁の皿10枚のうち1枚を割り、手打ちされたと言われている。同寺によると、この皿は彦根藩初代藩主・井伊直政が関ヶ原の合戦の戦功により、徳川家康から拝領し、大阪夏の陣の武功により孕石家に下げ与えたものとされる。お菊の死後、母親が供養のため同寺に納めたという。
 同寺には6枚が保管されている。大法会ではほかに、9日午後7時半~本尊千手観世音菩薩の法要、参詣者家内安全成就祈願など、同8時~紫燈大護摩厳修がある。9日午後7時~は江州音頭で盆踊り、露店・屋台も出る。問い合わせは同寺☎(22)0914。

甲子園出場の近江高校 彦根から小川投手と奥田選手も出場

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 11日に開幕した全国高校野球選手権大会に滋賀県代表として出場する近江高校のベンチ入りメンバーのうち、彦根・犬上(多賀除く)からはエースで2年生の小川良憲投手=彦根東中=と3年生の外野手・奥田隼司選手=彦根南中=がいる。2選手に抱負などを聞いた。
 小川投手は「まっすぐと変化球を低めに集めて打ち取る投球ができれば、全国でも勝ち抜いていけるはず」と自信を見せ、投げ合いたい投手として明徳義塾(高知)の岸潤一郎投手をあげ、対戦したいチームとしては春のセンバツを制した龍谷大平安(京都)をあげた。将来を含めた目標として「今年の全国で結果を残し、来年も甲子園に行って、高校の日本代表になりたい。そして将来はプロの道に進みたい」と述べた。
 奥田選手は「県大会の勝利で、背負っていたものが落ち着いて楽になった」と正直な心情を明かしながら「甲子園では足を使って、勝利に貢献できるようにがんばりたい。目指すのは全国制覇だけ」と力強く語っていた。

小川良憲投手の両親・良紘さん葉子さんにインタビュー

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 近江高校野球部のエースで彦根東中出身の小川良憲投手の両親に、子ども時代のエピソードなどを聞いた。同投手の両親は、るんびにー保育園(河原1)園長の小川良紘さんと副園長の葉子さん。
 小川投手は城東小3年から野球を始め、当時から投手だった。両親によると、東中の野球部でも野球漬けの毎日で、佐和山小スポーツ少年団の野球部の手伝いをしたり、兄の草野球にも出場するなど「この子から野球をとったらどうなるのかと思うくらいの野球好き」(葉子さん)で、ボールを握ったまま寝てしまう時もあるという。
 中学3年生の夏に引退してからも、彦愛犬の中学生野球チーム・彦根クラブに入団し、その時の監督のすすめでキャッチャーを経験。良紘さんは「この経験が勉強になったようで、ピッチャーとして成長した要因の一つかもしれない」と話していた。
 また3年生の冬には、東中から近江高に進学した野球部の1学年上の先輩2人と一緒に筋トレなどを行い「先輩の背中を追いかけるようにして」近江高に進学。1年生の夏は二桁台の背番号で、急速も130㌔前後だったが、秋にエースナンバーを背負い、冬のトレーニングを経ると急速に成長。葉子さんによると、日ごろからごはん食を心がけ、夕食後に市内のスポーツジムに通って、帰宅後にまた食事をとるなど1日5食により、下半身を中心にみるみる筋肉がつき、球速もアップしたという。
 小川投手に対し、良紘さんは「りっぱな試合をしてくれればいい」、葉子さんは「県大会とは違う雰囲気になるが、平常心でこれまで通りの力が出せればと思う」と話していた。

天秤櫓の漆喰はがれる 梨園も被害、台風11号で

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 強風と大雨をもたらせた台風11号の影響で、避難準備情報が9日午後8時半に芹川流域の39自治体・7619世帯(1万8264人)に、10日午後2時40分に12自治会・540世帯(1453人)に発令。10日午後3時半には市内13施設が指定避難場所として開設された。
 ほか市内では、男性(94)が中薮2丁目の知人宅前で強風にあおられて転倒し顔面打撲など軽傷、芹川右岸・鳥居本町中山こね坂トンネル・多賀醒ヶ井線が通行止め、いろは松近くの桜など倒木17件、松原町の大豆畑への浸水、石寺町の梨園への冠水、極楽寺町の水田で倒伏―などの被害が出た。彦根城内では天秤櫓軒下の漆喰が2カ所はがれた。

大薮おどり・幌おどり・かぼちゃおどり披露、彦根ばやし総おどりで

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 彦根ばやし総おどり大会が8日行われた。当日はあいにくの雨模様だったため、第1部のみ開催。第2部は中止と発表されたが、市長の判断で約30分だけ行われた。
 今年はリニューアルバージョンとして開かれ、第1部では市指定無形民俗文化財の大薮町の大薮おどり、小泉町の幌おどり、高宮町のかぼちゃおどりの伝統芸能と、彦根商工会議所女性会、ゲイヤダンススタジオ、王歌七舞会の新調彦根ばやしなどが披露された。
 第1部終了後に中止が発表され、参加予定だった29団体・約1200人の大半が帰路についたが、急きょ市長判断で銀座商店街だけを使って続行。残ったメンバーのみが彦根ばやしの音頭に合わせて踊っていた。

滋賀県護国神社の歴史 御英霊に感謝の誠を

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 慶応4年~明治2年(1868年〜69年)の戊辰戦争以降に国のために戦って亡くなった滋賀県内の戦死者の御英霊3万4750柱を祀っている彦根市尾末町の県護国神社(山本賢司宮司)。建立された時期やその変遷、参拝の意義などを紹介する。【山田貴之】
  明治2年9月、彦根藩は戊辰戦争の戦死者をとむらうため、古沢村(現・古沢町)の地に招魂碑を建立。同8年には内務省の発令と旧彦根藩主・井伊直憲公の発議により、旧彦根藩士507人と協議の上で現在の地に招魂社を造営することになり、神社創立委員長には旧彦根藩士で衆院議員も務めた大東義徹が就任した。翌年5月に竣工され、御英霊26柱が祀られた。この時には埋木舎の敷地の一部の土地が寄付されている。
 昭和14年(1939)4月に内務省の告示により、全国の招魂社が護国神社と改名され、尾末町の招魂社も滋賀県護国神社となった。当時は日中戦争の最中で、新たな戦死者の合祀が予想されたため、神域の拡張が計画。滋賀県は同年10月、護国神社のそれまでの約3400坪の敷地面積から、約8100坪に拡張し、さらに多くの参拝者の収容を確保するため、当時はいろは松に面していた本殿への正面入り口を彦根駅方面に変更して、本殿以外の建物を新改築する案を発表した。
 しかし、護国神社を拡張するには、多数の民家の立ち退きが必要だったため、地元住民から反対の声があがった。翌年10月には滋賀県総合運動場の隣接地に移転することを求める要望書が県に提出されたが、結局は行政と地権者との間で話し合いが行われ、同16年に現在の地で造営工事が行われた。
 昭和20年8月15日に敗戦を迎え、占領軍の干渉により、滋賀県護国神社は沙々那美(さざなみ)神社と改名。その後、サンフランシスコ講和条約の締結で主権を回復し、同28年10月に再び護国神社という名称に戻された。
 同32年4月に彦根市民会館が建設され、社務所などが現在地へ移築。同時に、同25年に井伊神社から護国神社の境内(現・市民会館)に移設されていた井伊家の能舞台も社務所内に移された。能舞台はその後、同60年に彦根城博物館が建設されることに伴い、同館内の元の場所へ移築された。県護国神社では平成7年4月に終戦50周年記念大祭が営まれ、同17年7月には同神社の維持に協力する団体・崇敬奉賛(すうけいほうさん)会が設立。この年の10月には終戦60周年記念の臨時大祭が営まれた。


靖国神社と護国神社の違い

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 全国にある護国神社の大元が東京都千代田区にある靖国神社―、そう誤解している人もいるのではないか。しかし、調べると護国神社と靖国神社は、あくまで対等の関係にあることがわかる。
 確かに全国の護国神社に祀られている御英霊の多くは靖国神社にも合祀されているが、明治2年6月29日に明治天皇のおぼし召しで東京招魂社として創建された靖国神社とは違い、護国神社は地元の有志たちによって設立されたという違いがある。全国47都道府県のうち、東京都と神奈川県のみ護国神社がなく、靖国神社が両都県の護国神社の役割も果たしている。
 靖国神社に対しては、いわゆる戦犯の合祀に対して参拝に反対する意見もあるが、同神社は全国の護国神社同様、戦没者の御英霊を偲び、遺徳を称え、感謝の誠を捧げる神聖な場所であり、戦争を美化したり、その責任を追及したりする場ではない。
 滋賀県護国神社の山本賢司宮司は「遺族であるなしに関係なく、生き残った私たちが感謝の気持ちを御英霊に向け、靖国神社と護国神社へお参りすることで、神様の力は強まり、その力が強くなることで日本を守ってくださる」と話している。【山田貴之】

滋賀県護国神社でみたま祭

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 彦根市尾末町の滋賀県護国神社は13日から「みたま祭」を営む。戊辰戦争から大東亜戦争までの数々の戦いにおいて命を落とした県内の戦没者の御英霊を慰霊すると共に、感謝の誠と平和への祈りを捧げるため、昭和52年8月から毎年この時期にみたま祭を取り行っている。
 38回目を迎える今年も同神社の境内には約5000灯の提灯(ちょうちん)が飾られ、13日午後6時~点灯式、14日午後6時~献灯協賛者安全祈願祭、15日午前11時半~全国戦没者追悼慰霊祭、祭典後におにぎりと味噌汁の無料提供、午後6時~県下戦没者追悼慰霊祭がある。点灯は午後6時~同9時半。
 拝殿では滋賀県遺族会による遺骨収集のパネル展、花道・翠香流の竹中翠香さんと翠香流社中による生け花展、彦根きり絵研究会によるきり絵あんどんの展示がある。このほか、焼き鳥や綿菓子、かき氷などの露店も出る。

元海軍中尉・加藤曻さん戦争を語る近江高校で平和学習

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 彦根市松原町の近江高校でこのほど、「私の戦争体験」をテーマに平和学習が行われ、大東亜戦争で海軍飛行予備学生や海軍中尉を務めた加藤曻さん(91)=京都市=が3年生130人を前に、戦争とは何かなどについて話した。
 加藤さんはまず、昭和初期の学校について「男は男だけで厳しい教育を受け、国のため、家族のため、女性のために生きることを教わった」「今の教育は最低水準に合わすが、昔は2年、3年上の飛び級があった
」と解説。
 戦争が始まった背景については「日本を除くアジア諸国が白人によって植民地化されていた」とアジア諸国を植民地化から解放する意図があったことを示しながら「日本は富国強兵、質実剛健を合い言葉に、日清・日露戦争で勝利し、赤道直下までを領土にした」と説明。
 戦争に関しての考えとしては「自分が死ぬか、相手が死ぬか、生と死の極限状態での戦い。戦争している時はまったく怖くなかった。仲間と常に一蓮托生だった」とした上で「戦争はやったらダメだが、永遠に平和が続く保証は無い。もしいつか起こった時は必ず勝たなければいけない」「男性諸君には、いざという時に領土、そして家族や女性を守るという信念を持ってほしい」と力強く呼びかけた。
 講義後には生徒から「戦前の教育勅語についてはどう思うか」「集団的自衛権の行使については」などの質問があり、加藤さんは「教育勅語には悪い事は一つも書いていない。反対している人がいるがどこが悪いのか示してほしい」「(米軍などの)後方で支援をするのは当たり前であり、集団的自衛権の行使には賛成だ」と話した。
 加藤さんの講義後、生徒たちが書いた感想文の一部は以下の通り。
 「怖いけれど一回その時代の教育を受けてみたいと思った。国が一丸となっている時代に生まれてみたい」。
 「国のために特攻隊として突っ込んでいく姿にアメリカも驚いたっていう話を聞いて、日本は戦争に負けはしたが、こういう姿があったからこそ他の国のように植民地化されなかったので、昔の人は本当に凄いと思った」。
 「自分がもしこの状況に立たされたらと思うと正直怖いです。それでも飛行機に乗り攻撃できたことに誇りをもって話してくださった加藤さんに、感謝の気持ちでいっぱいです」。
 「今の若者と比べ体罰や特攻を恐れない勇敢な若者は強く立派だと思いました」。

杉原千畝 写真展、あけぼのパーク多賀で

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 多賀町のあけぼのパーク多賀で、「杉原千畝(ちうね)命のビザ 寿福滋写真展」が開催されている。
 杉原千畝(1900~86)は第二次世界大戦中の海外駐在外交官で、40年にカナウス(リトアニア)領事館に赴任していた時、ユダヤ人を救出するためにビザを発行し、約6000人の命を救ったことで知られる。
 フリーカメラマンの寿福滋さん=大津市=は千畝を取材し続けており、今回の写真展では今までの取材に加え、千畝の妻・幸子のことも紹介。外交官は赴任先の国で家族ぐるみでの付き合いが必要だとされ、幸子も千畝と共にユダヤ人の救出に尽力した。
 写真展では寿福さんがユダヤ人を追いかけたルートの順で展示。ユダヤ人が収容されていたアウシュビッツ収容所から始まり、千畝の救済を受けモスクワ(ロシア)からシベリア鉄道を使って日本経由で海外へ避難した足取りなどが収められている。
 また展示スペースは収容所や領事館の風景のセットも置かれ、各施設内にいるような臨場感に包まれている。
 開館は午前10時~午後6時(土曜祝日は同5時)、9月15日(月)まで。月曜日・祝日の翌日は休館。問い合わせは同館☎(48)1142。
 あけぼのパーク多賀では16日午後1時~映画会「杉原千畝の決断」と外務省外交史料館課長補佐の白石仁章さんの講演会、23日午後2時~映画会「はだしのゲンがみたヒロシマ」と多賀町立図書館前館長・西河内靖泰さんのトーク、31日午後2時~は西河内さんによる講演会「図書館からみえてくる戦争と平和~『はだしのゲン』『アンネの日記』問題をめぐって~」が催される。問い合わせは同図書館☎(48)1142。

彦根りんごの収穫祭、ジュースと酢の販売も

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 彦根りんごの収穫イベントが8日、中薮町の彦根りんご園であり、市内の子どもから高齢者まで約500人が参加した。
 彦根りんごは、中国から伝来し彦根で栽培された和りんごの一種。江戸時代に彦根藩主も食し、徳川将軍家にも献上されたという。昭和半ばに途絶えたが、市民有志らによって平成15年に「彦根りんごを復活する会」が設立。同会などでは同18年11月に市有地約1900平方㍍を借り受けて農園を整備し、「平成」15本、「文化」と「芹川」9本ずつの計3種類の彦根りんごの苗木を植えて育ててきた。平成20年に初めて実をつけて以降、収穫祭をしている。
 今年は「裏年」だったため、「文化」の木3本にしか実がつかなかったが、市内5小学校の小学生約400人と大人100人が参加し、ゴルフボール大のりんご約700個を収穫。参加した城西小4年生の西畑孝祐君(9)は「甘酸っぱくておいしかった。また来年も参加したい」と話していた。収穫後には隣の芹川公園で、彦根りんごピザや流しそうめんなどを食べて楽しんでいた。
 なお同会は彦根りんごで作ったジュースと酢を今月から発売。ジュースは180㍉㍑で350円、酢は200㍉㍑で700円。彦根キャッスルリゾート&スパと彦根りんご園(西今町)で販売している。

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