自転車のルーツとされる三輪の「新製 陸舟奔車(りくしゅうほんしゃ)」を発明した彦根藩士・平石久平次時光(1696~1771)の墓がある中央町の長松院は先月25日、久平次の250回忌法要を営んだ。法要後には手塚紀洋住職(49)が陸舟奔車の復元品の試運転を行った。
久平次は200石を受領して蔵奉行などを務めた一方、年暦を編さんするなど当時の一流の天文暦学の学者だった。発明家としても知られ、平石家文書のうち「新製陸舟奔車之記」には享保13年(1728年)から同17年にかけて久平次が3種類の異なる機構の舟形の自転車を考案したことがわかる設計図が掲載。陸舟奔車はそのうちの1種類で同17年に作られたとされる。世界的にはドイツのドライジーネが1818年に2つの車輪を一直線に並べてハンドルを付けて足で地面をけって走行。ペダルを付けた自転車はフランスのピエール・ミショーが1860年に考案したとされる。久平次が発明した陸舟奔車はそれらよりも前のため「世界で最初」の自転車の可能性もある。
久平次は200石を受領して蔵奉行などを務めた一方、年暦を編さんするなど当時の一流の天文暦学の学者だった。発明家としても知られ、平石家文書のうち「新製陸舟奔車之記」には享保13年(1728年)から同17年にかけて久平次が3種類の異なる機構の舟形の自転車を考案したことがわかる設計図が掲載。陸舟奔車はそのうちの1種類で同17年に作られたとされる。世界的にはドイツのドライジーネが1818年に2つの車輪を一直線に並べてハンドルを付けて足で地面をけって走行。ペダルを付けた自転車はフランスのピエール・ミショーが1860年に考案したとされる。久平次が発明した陸舟奔車はそれらよりも前のため「世界で最初」の自転車の可能性もある。
11月30日まで展示
250回忌法要には自転車研究家として知られる小池一介さん、長松院が行う寺子屋に通う子どもたち9人を含む計約40人が参加。法要の中では交通安全の祈とうも行われた。城東小5年生の佐川涼君(11)は「(陸舟奔車の復元品を)初めて見たが、久平次の発想力はすごいと思った。僕も何か発明できる大人になりたい」と話していた。
法要後には手塚住職が本堂内で復元品を試乗。手塚住職は「後ろにも進めて、思っていたよりもペダルをこぐのが軽かった。久平次は稀代の面白がり屋だったろうし、にっこりと笑ってくれているのでは」と笑顔で語っていた。