安政7年(1860)の桜田門外の変で彦根藩十三代当主の井伊直弼が暗殺された際に使われたという拳銃が、10日に大津市の近江神宮で公開される。暗殺のメンバーだった水戸藩士が桜田門外の変について記したとされる絵図入りの文書も展示される。
澤田さんによると、拳銃は米国の提督だったペリーが幕府の要人に贈った品を参考に水戸藩で製造され、中澤晃敬という名前が明記。本体には桜の模様が彫られており、安政年間に関東で活躍した彫工の鎌田寿次の銘も見られる。米国の古銃研究家から約20年前に入手し、米国では「ペリーのピストル」として有名だったという。拳銃が入っていた箱に直弼暗殺時に使われた銃と書かれていたという。
文書は、桜田門外の変に加わったメンバーの生き残った2人のうちの1人で水戸藩士の海後磋磯之介(かいごさきのすけ)が書いたという遺書。襲撃直後に水戸藩士の森五六郎が直弼の乗ったかごに銃を発砲したなどの内容が記され、襲撃の際や直弼の首を切る様子を描いた絵もメンバーの名前入りで描かれている。澤田さんが約3年前に大阪市の古本屋で見つけた。
近江神宮では10日に時の祖神の天智天皇に感謝の祈りをささげる「漏刻祭」があり、天文時計の垂揺球儀などと合わせて、拳銃と文書も展示される。午前11時~展示説明がある。澤田さんは「拳銃は米国の研究家が驚くほど精密に作られており、技術の高さがわかる。遺書についても桜田門外の変の真相がわかる内容だ」と話している。