彦根城博物館は11日から、常設展「井伊直弼と西郷隆盛」を行う。
直弼(1815~60)と西郷(1827~77)は直接、出会うことはなかったとされるが、幕末期には対立した立場にあった。安政5年(1858)4月に大老に就任した直弼は6月に日米修好通商条約に調印し、8月には孝明天皇から条約調印を非難する勅諚(ちょくじょう)が幕府に下された(戊午の密勅)。
この頃、西郷は薩摩藩主の島津斉彬の命を受け、将軍後嗣に一橋慶喜を擁立するための政治工作を行い、政権に反する危険人物扱いされたため、薩摩に退去。自殺未遂や流島生活もした。これらの情報は京都にいた彦根藩士の長野主膳から江戸の直弼にも伝えられたとされる。
常設展では直弼と西郷の関係性がわかる当時の手紙など6点を展示。そのうち水戸藩の鵜飼知信・知明父子が同藩家老の安島帯刀に宛てた手紙=写真=は、薩摩藩の軍勢を大坂に待機させ、幕府の老中・間部詮勝が京都で「暴政」を行ったら伏見で間部を打ち払い、沢山城(彦根城)を踏み倒すとする西郷の挙兵計画を語った内容。この手紙は安政5年9月付で江戸に送るはずだった密書類の一つだったが、20日に草津付近で幕府の役人によって押収された。鵜飼父子は2日前の18日に捕らえられ、その後死刑になっている。