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彦根東高 青森山田高に敗れるも、赤鬼の応援は満員の甲子園をどよめかせる

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 第99回全国高校野球選手権大会7日目の14日、滋賀代表の彦根東高校は青森代表の青森山田高校と対戦したが、2対6で敗れ、2回戦突破は果たせなかった。アルプス席には「赤鬼」と記された赤色のシャツを着た応援団約5000人が詰めかけ、その応援は満員の甲子園をどよめかせていた。
 試合は5回終了時点で0対6となったが、6回から稲枝出身の増居翔太投手(2年)が登板して以降、青森山田打線を抑え、7回裏には彦根南中出身の吉本孝祐選手(3年)が三塁内野安打を放つなど攻勢。8回に1点を返し、9回も代打の仲川俊哉選手(3年)のホームラン、原晟也選手(3年)の三塁打などで反撃したが、そのまま敗北した。
 アルプス席では彦根東がチャンスを迎えるたびに、吹奏楽の演奏と応援団の声援が甲子園中に響き渡り、点が入るとアルプス席以外からも歓声と拍手が沸き起こっていた。
 彦根東のナインは翌15日に帰校し、セレモニーでは出迎えた生徒ら約100人に応援への感謝を示していた。
彦根東ナインと赤鬼応援に感動
 甲子園に取材のため訪れた14日は盆休み中だったこともあり、チケット売り場にはアルプス席をはじめ長蛇の列ができ、内野席が数時間待ち、外野席に至っては入場できない状態だった。また内野席でも試合ごとに行われるチケット販売が数十分で売り切れるほどだった。
 2回戦で彦根東は3塁側だったが、バックネット裏や外野席、1塁側の内野席にも赤鬼のTシャツ姿が見られ、「赤備え」の光景はほかの観客の目をひいていた。
 そして反撃に出た8回と9回の攻撃時の応援は甲子園中に鳴り響き、青森山田(1塁側)のアルプス席からどよめきが起こるほどだった。これまでに何度か甲子園へ足を運んだことがある小生も、彦根東ナインの勇姿や応援団の声援には感動させてもらった。
 今年の彦根東ナインは、1・2回戦で好投した増居投手、1回戦でホームランを放った吉本選手、伝令役を務めた清水選手、ランナーコーチとして貢献した山崎選手、ブルペン捕手として支えた嘉藤選手の彦根の5選手をはじめ、個の力があったかもしれぬが、それ以上に総合力で勝ち進んできたチームだといえよう。主力には増居投手ら2年生もおり、来年の更なるレベルアップを期待している。

映画「関ヶ原」で石田三成役を演じている岡田准一さんと島左近役の平岳大さんサプライズで登場

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 今月26日公開の映画「関ヶ原」(※)で石田三成役を演じている岡田准一さんと島左近役の平岳大さんが15日、佐和山や三成について学習してきた佐和山小6年生と卒業した東中生の前にサプライズで登場。児童生徒たちは三成の印象などについて岡田さんらに質問していた=岡田さんの写真はネットNGのため平さんのみ。
 文化プラザで課外授業の名目で行われたイベントには小中学生80人が参加。子どもたちには事前に知らされていなかったため、岡田さんたちが登場すると、大きな歓声と拍手が沸き起こり、保護者席の母親からも黄色い声があがっていた。
 岡田さんは平成26年の大河ドラマで主役の黒田官兵衛を熱演。「その時は敵だった三成を悪く言っていたため、今回は三成に喜んでもらえるように撮影にのぞんだ。(古沢町の)龍潭寺にあるかっぷくある三成の肖像画をイメージした」と解説。昨年のロケでは重さ約40㌔の甲冑を身につけて彦根城を上ったエピソードにふれ「真夏だったため、ヘロヘロだった」と振り返った。
 子どもからの「三成のどこが好きですか」の質問に、岡田さんは「まっすぐさ」と回答。また「三成を一言で表すと、思いやりのあるという意味で「思」だと思いますが」の質問に、岡田さんは「義がよく言われるけれど、『思』もいいですね」と笑顔で答えていた。
 イベント後、佐和山小6年生の松本椛希(かの)さん(12)は「岡田さんと平さんが登場した際はびっくりした。2人ともかっこよかった。(試写会で見た)『関ヶ原』はハラハラするシーンが多く、すごい映画でした」と話していた。
 ビバシティシネマではこの日、試写会もあり、その後の舞台あいさつには平さん、原田眞人監督らが出席。原田監督は滋賀をロケ地に選んだ理由として歴史的な建造物が残っている点にふれた上で「戦いのシーンでは運動会の『棒倒し』の感覚を取り入れ、今までにない描き方をした」と話した。
 【映画「関ヶ原」】司馬遼太郎の「関ヶ原」が原作。岡田さん、平さんのほか、徳川家康役を役所広司さん、井伊直政役を北村有起哉さんが演じる。彦根城や清凉寺、龍潭寺、大洞弁財天、天寧寺、愛知川河川敷、金剛林寺など県内14カ所でロケがあった。

新キャラ・いいのすけとひこにゃんと一緒に謎を解きながら散策できるアプリ「彦根ほんもの歴史なぞとき」

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 彦根市は9日から、伊賀の忍者をモチーフにした新キャラ「いいのすけ」とひこにゃんと一緒に謎を解きながら市内を散策できるアプリ「彦根ほんもの歴史なぞとき」のリリースを開始した。ひこにゃんのイラストが動画で配信されるのは初めて。
 観光客の回遊性と滞在時間の延長により経済効果を高めようと企画。スマートフォンやタブレット端末でアプリを無料でダウンロードし、彦根に関する5つの「なぞとき」にクリアすると、ひこにゃんといいのすけが案内する動画を見ることができる。
 なぞときは「お殿様」「文武両道」「国際交流」「伝統技術」「開国」の5コースあり、クリアするには各コースに設定された3カ所でクイズに答える必要がある。クリアすると築城410年祭の期間限定で抽選のプレゼントにも応募できる。築城410年祭後もアプリは使用できる。
 このほか、アプリは英語・中国対応、ひこにゃんやいいのすけなどオリジナルフレームでの写真撮影機能、モデルコースとナビ機能、イベント情報なども搭載。アプリの画面を彦根駅前の特設観光案内所や二の丸の案内所で掲示すると、先着1500人にひこにゃんといいのすけがデザインされたクリアファイルを進呈。ユーチューブでは30秒のPR動画を配信している。
 山根裕子副市長は「彦根には城下町が本物の形で残っており、このアプリで回遊性のある観光を実現していきたい」と話していた。

彦根梨を使った料理やスイーツを提供する店舗を巡るスタンプラリーひこね梨さんぽ20日から開催

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 彦根梨を使った料理やスイーツを提供する店舗を巡るスタンプラリー「ひこね梨さんぽ」が20日から開催される。
 彦根梨の昨年の出荷量約53万個のうち12%が外見の検査などで引っかかり出荷されなかった。市は彦根梨の知名度アップと出荷されない梨の有効活用を目的に、民間企業らと農林水産特産物開発実行委員会(藤田武史委員長)を立ち上げ、昨年から「ひこね梨さんぽ」を実施。
 今年は参加店舗が昨年の28店舗から市内40店舗に増え、各店では握り寿司やピザ、バーガー、シャーベット、カクテル、梨蜜などを販売。レシピはほとんどオリジナルで、全て彦根梨の幸水が使用されている。
 店舗の中には研修会を受講した事業者もおり、受講済みの17人・14店には「ひこね梨コンシェルジュ」の認定証が掲示されており、彦根梨の糖度や完熟に関する知識を教えることができる。藤田委員長は「将来的には『梨さんぽ』の参加店に日本各地から来てもらえるよう、今回のイベントを成功させたい」と意気込みを語っていた。
 シールを貼る専用用紙が参加店やJAの直売所、市役所などで配布。シール3枚以上で彦根梨の加工品詰め合わせが20人に、5枚で彦根梨の木のオーナー1年分が2人に、特製梨カレーとみずかがみ5㌔のセットが5人に当たるキャンペーンに応募できる。シール1枚でひこにゃんポストカードと交換もできる。9月10日まで。問い合わせは市農林水産課内の同実行委員会☎(30)6118。

ブレークダンスで世界的に活躍する12人講師にキッズキャンプ 城東小に国内外の小中学生85人参加

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 ブレークダンスで世界的に活躍する12人を講師に迎えた「キッズキャンプ」が18日から20日まで彦根市立城東小学校を起点に行われ、国内外の小中学生85人が参加した。
 来年10月に行われるユースオリンピックに向けて、ダンスを通じて子どもたちに夢や希望を与えようと、有志たちによる実行委員会が企画。これまでは関東地方でキャンプを行っていたが、5回目となる今年は初めての関西での開催となり、ドイツからの2人を含めた小学1年から中学3年までの子どもが参加。
 3グループに分かれて城東小の体育館でレッスンを受けたり=写真、彦根城を散策したり、清掃活動に参加したりし、最終日には「バトル」にも挑戦した。瀬田東小学校6年生の細川烈君(11)は「きき足ではない逆の技を色々と教えてもらい、楽しかった。将来はユニバーサルスタジオのダンサーになりたい」と話していた。

アットスクール南彦根教室の木村友栄さん27日に文化プラザで「みんなの学校」の上映会

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 学習支援や発達支援が必要な子どもたちの実力を伸ばすための教室「アットスクール南彦根教室」が平田町にある。代表の木村友栄さん(47)は「特別支援学級の子どもたちが通常学級で学べる社会を目指したい」と話しており、27日には文化プラザで映画「みんなの学校」の上映会を行う。
 木村さんの息子(19)と娘(21)には発達障害があるが、息子は東京で一人暮らしをしながら専門学校に通い、娘はバレエの講師を務めるなど自立した生活をしている。木村さんは息子と娘が子どものころ、子育てに悩む時期もあったが、とにかく子どもたちの好きなことをさせてあげたという。
 その後、心理カウンセラーとなり、自宅で子育て相談に乗っていたが、発達障害で困っている母親を支援しようと今年3月にアットスクール南彦根教室を開校。未就学児から高校生までの13人が火曜から日曜までの午後に通っている。
 木村さんは「(発達障害の)子どもたちの姿を見ていると、明らかに変わっていく力を持っていると感じる。少しの支援の手を差し伸べるだけで良く、通常の学級で一緒に学べることを知ってほしい」と話している。
 映画「みんなの学校」は、発達障害児が通常の学級で過ごす大阪市立大空小学校の様子を描いた平成26年の作品。文化プラザでの上映会は午前10時~と午後1時半~、前売り1300円・当日1500円、小学生以下無料。問い合わせはアットスクール南彦根教室☎(30)9905。

新ごみ処理施設の建設候補地選定の管理者会議の議事録内容が判明、彦根と3町が対立

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 彦愛犬1市4町の新しいごみ処理施設の建設候補地を愛荘町竹原に決定した管理者会議(非公開)の議事録が、獅山向洋市議が情報公開請求した資料によって判明。市内の候補地の一つ(原町)を推す彦根市と竹原を支持する他町が対立していた構図が明らかになった。
 管理者会議は彦根の大久保貴市長、川嶋恒紹(ひさつぐ)副市長、犬上・愛荘の4町長で組織。公募のあった彦根市内3地区と愛荘町内2地区を選定委員会が評価した報告書に基づき、今年2月15日から6月19日まで計7回、開かれた。
 初回は事務局からの説明後に自由な意見交換で終了。2月21日の2回目の会議では川嶋副市長から報告書の分析があり▽地元合意が100%▽投棄場を受け入れるなど圏域行政に協力している▽道路改良が進んでいるなどで、彦根市の応募地の中では「原町」(資料では非公表)が最も優位性が高いと説明。またイニシャルコストが圧倒的に安いとして愛荘町の応募地では竹原が優位として、3回目以降の会議ではほぼ「原町」案と「竹原」案に絞って協議が進んだ。
 原町案を推す彦根からは市長と副市長が「収集運搬コストの面で愛荘町になれば彦根の負担が増える」「前(獅山)市長と(原と)の間に、ごみ処理施設の設置について基本協定書が締結された経緯がある」「国道バイパスを進めるためには(原町との)協力が必要」「竹原は地元合意が100%ではない」と説明。また甲良町長は「町施策との関連があるため、(竹原は)絶対賛成できない」と述べた。
 一方で、愛荘、豊郷、多賀の各町長からは「(候補地の公募範囲を)なぜ1市4町を対象にしたのか。収集運搬コストを理由にするのはおかしい」「公平公正をするために公募したのではないか。それをうんぬん言うのなら、選定委員会はしなくて良かった」「国道バイパスの関連で(原町に)決めるならば、今まで議論せず、最初から決めれば良かった」「公募要項では反対の方がいたらだめだという要件にはなっていない」などの意見が出た。
 5月23日の6回目の会議では「管理者会の総意が得られない中で管理者が決定したということでいいのでは。愛荘町長は反対したと明記してくれたらよい」(愛荘町長)、「こういう施設は土地が安い所に建てるべきであるため、(原町は)あまりかんばしくないが、どこかに建設しないといけないので苦渋の選択をした」(豊郷町長)など、「原町」に妥協する姿勢を示し、最終的には「管理者(市長)の責任」での決定を求めた。
 最後の7回目の会議でも「管理者会で総意は得られなかったということを前提に管理者が総合的に決めたということで仕方がない」(愛荘町長)などの意見が出たが、大久保市長が急きょ「これまでの会議録を振り返った。管理者の立場として、選定委員会の結果を尊重しつつ総合的に判断した。竹原にお願いしたい」と語り、竹原に決定した。
 ※(解説)=新ごみ処理施設の会議録からは候補地選定について、原町案を推す彦根、竹原案を支持または推す多賀・豊郷・愛荘、竹原案に反対する甲良の意見の相違が鮮明にわかる。
 そしてもう1点、不可解な事案として、6回目の会議までに3町は「市長(管理者)の責任」を前提に原町案に妥協しているものの、最後の最後で大久保市長が竹原に意見を転換させていることだ。ここからは、管理者会議として意思統一をしたかったという思惑があったと推測できるが、なぜ急に転換させたのか、川嶋副市長の辞任意向騒動と合わせて、市長の説明責任が問われており、9月議会での市長答弁が注目される。   (山田貴之)

学生たちによるアート展「HIKONE STUDENT ART AWARD」に向けて構想練る

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 美術系大学などの学生たちによるアート展「HIKONE STUDENT ART AWARD」に向けて、一次審査を通過した20人が21日から27日まで彦根に滞在。22日には展示場所になる本町の宗安寺とスミス記念堂を見学した。
 同アート展は彦根城築城410年祭のイベントとして9月23日から10月1日まで開催される。応募のあった全国の美術系大学や専門学校などの学生や卒業生計60人の中から、一次審査(書類)で18歳から27歳までの20人のファイナリストとして選考。
 20人は絵画や彫刻などさまざまジャンルで、本町宿に泊まりながら、午前はクリエイティブディレクターやデザイナーらから滋賀大で講義を受け、午後は市内を散策するなどして構想を練り、来月のアート展に向けて創作活動をしていく。
 22日には宗安寺で本堂や大涅槃(ねはん)図などを見学。京都精華大大学院を修了した伯井慶伊子さん(24)=大阪府堺市=は「宗安寺にはすでに芸術作品みたいな物が多くあり、それらをよりよく見せるために提案していければ」と話していた。

彦根城の天守前で10月15日カロムグランプリ

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 彦根城の天守前広場で10月15日、「カロムグランプリ」が開催される。
 中央町でカロム道場を開いている湯谷淳一さん(69)が委員長を務めるNEWカロム協会実行委員会が、築城410年祭の記念行事として企画。カロム8台をテーブルの上に1台ずつ設置し、ダブルスの32組がトーナメント方式で優勝を競う。
 当日は午前9時半~記念撮影、オープニングセレモニーの後、3セットマッチの1回戦、午後1時~1セットマッチの2回戦、準々決勝、準決勝、3位決定戦、決勝(3セット)がある。決勝後の午後2時10分~はカロムの技に挑戦し合格者にはオリジナルストラップが進呈される「認定検定」、大中小のNEWカロム盤を使って各盤で技をクリアするとカロム盤がプレゼントされる「カロム道場賞」がある。飛び入りの参加者向けの認定検定とカロム道場賞も午後0時20分~30分間ある。全体の表彰式は午後3時10分~。参加無料。参加者に木製ストラップ進呈。
 湯谷さんは「カロムと彦根が広く認知できればと思います。優勝を競うことより、イベント開催が目的のため、初めてカロムをする人も歓迎します」と呼びかけている。申し込み締め切りは9月30日で、応募多数時は抽選。参加者と家族は当日の彦根城入場料が無料。
 また実施費用は湯谷さんの負担になるため、企業や個人からの支援金を一口1000円で募集している。運営を支援するボランティアも随時。申し込みは事務局☎(24)0080。

「平和の火」を携えて被爆二世の本岡晃浩さんNPO法人アースキャラバン彦根を訪問、滋賀県護国神社で上映会とパレスチナ報告会

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 広島原爆の残り火「平和の火」を携えて自転車で京都から東京を目指す被爆二世の本岡晃浩さん(30)と、NPO法人アースキャラバン(京都市)のメンバーが9月3日、彦根を訪問。午後6時~尾末町の滋賀県護国神社で上映会と本岡さんのパレスチナ報告会を開く。
 アースキャラバンは国際平和イベントの開催などを目的に平成18年4月に設立。同27年からは広島原爆の残り火を使い「SHARE!分かち合おう地球を、幸せと自由を」を合い言葉に、「アースキャラバン」と題して国内外でキャンドルナイトや映画会などを行い、平和を呼びかける活動を展開している。
 本岡さんは広島生まれで、母親が3歳の時に被爆した二世。大学卒業後、オーストラリアやマレーシア、インドなどで1年半生活した中で、被爆二世として平和に対する役割への思いを深め、帰国後にアースキャラバンの活動に参加。平成27年からは本岡さんが中心になり「平和の火・ピースサイクリング」と銘打って全国各地を自転車で巡っている。
 今年は4月25日~5月2日に広島から京都、6月30日~7月6日に長崎から広島までで実施。その後、本岡さんとほかのメンバーたちが7月から8月にかけてパレスチナなども訪れた。
 今年最後のアースキャラバンは、31日に京都を出発し、9月9日に東京の木場公園に到着する行程で実施。途中の滋賀県護国神社では、映画「アースキャラバン2015」の上映会後、本岡さんがパレスチナの今の様子を話す。入場無料だが、寄付を受付。
 アースキャラバン理事の馬場山往さん(37)=本庄町=は「多くの戦没者がまつられている護国神社で、映画と平和の火に触れて頂き、平和への思いを『シェア』できればうれしいです」と来場を呼びかけている。
 問い合わせは馬場さん☎090(3869)7047。

彦根城の着見台の石垣上部に修理の形跡 調査で明らかに

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 彦根城築城410年祭に合わせて、滋賀彦根新聞が連載している「彦根かるた巡り」。第3弾の今号では「つ」の着見(つきみ)台を取り上げる
 彦根城天守の北東部にある着見台は江戸時代、2階建ての建物があり、着見櫓と呼ばれた。着見櫓の石垣は上部と下部で異なる築き方だが、滋賀彦根新聞が市教委文化財課に依頼した調査で、上部の石垣が修理された際に築かれたことがわかり、築城当時から櫓が建っていたことも確認された。
 着見櫓は1階が6間(1間約1・8㍍)×5間、2階が4間半×3間半の規模だったとされる。玄宮園内から明治初年ごろに撮影された写真を見ると、北側の2層目の正面が千鳥破風の形状だったことがわかる。
 今回の調査で、着見櫓の石垣は最も高い場所で垂直高が10・80㍍、そのうち築城が始まった慶長9年(1604)ごろに築かれた石垣が6・38㍍、それ以降に修理されたのが残り4・42㍍だったことがわかった。
参勤交代で「着見」に
 着見櫓は参勤交代からいろは松を通って帰郷して来る一行を確認する(着くのを見る)ための建物だったとされるため、参勤交代が始まった寛永12年(1635)以降に着見櫓と呼ばれるようになったと考えられる。
 江戸時代の絵図などから、築城当時にこの場所に櫓が建っていたことはわかっていたが、石垣上部の修理時期や櫓との関係性などは明らかになっていない。市教委文化財課主任の下高大輔さん(35)は「築城時に何らかの櫓が建っていたのは間違いないが、築城時から2層だったのか、いつから着見櫓と呼ばれるようになったのか、石垣の修理時期を含めて今後の調査対象になる」と話している。
 着見櫓は、彦根城が陸軍省の所管となった明治5年2月以降から、天守などの保存が決定した明治11年10月までの間に、ほかの一部の櫓と共に解体されている。櫓が無くなったことで、以降は着見台と呼ばれるようになったと考えられる。
 なお、彦根かるたにも登場している「月見に最適な場所」という説から月見台という名称が一部で聞かれるが、愛称に過ぎず、着見台(櫓)が正式な名称だという。

歴史好きのお笑い芸人「六文ジャー」のライブ彦根城天守前で

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 歴史好きのお笑い芸人たちのユニット「六文(ろくもん)ジャー」のライブが3日の午前と午後の計2回、彦根城天守前で行われた。
 映画「関ヶ原」の公開に合わせて、石田三成を慕う市民有志の団体・三成の戦実行委員会が企画。六文ジャーははんにゃの金田哲さん、ロバートの山本博さんら歴史好きの芸人6人で結成。
 この日のライブにはそのうちの5人が天守前に設けられた特設ステージに武将の家紋入りの法被を着て登場。山本さんと長谷川ヨシテルさんは映画「関ヶ原」にエキストラとしても出演しており、ライブでは、出演者やスタッフの誰にも気づかれなかったことや、主演の岡田准一さんの隣で少しだけ写っていることなどを話し、会場の笑いを誘っていた。
 また「石田三成の家紋の文字は」「井伊の赤備えの別称は」「関ヶ原の合戦後、東軍が佐和山城に入って驚いた理由は」などのクイズも出題され、芸人たちのボケの回答に来場していた子どもたちから笑い声が起こっていた。最後にはいしだみつにゃんも登場し、子どもたちをステージに乗せて一緒にゲームを楽しむなど、終始和やかな雰囲気だった。
 京都府亀岡市の小学4年生・大野貴陽君(10)は「歴史はわからないことが想像できるのがおもしろい。将来は歴史学者になりたい。映画も見に行きたい」と笑顔を見せていた。

彦根ホテル旅館組合が1回目の彦根観光会議

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 彦根の観光振興策を探ろうと、市内の宿泊施設で組織する彦根ホテル旅館組合(田井中徹会長)が4日、ホテルサンルート彦根で1回目の「彦根観光会議」を開いた=写真。
 同組合は彦根への観光客の誘致と宿泊客増を目的に、市内のホテルや旅館の計20施設で今年6月19日に設立。この日の会議には同組合の会員や、市、近江ツーリズムボード、彦根観光協会の職員ら計25人が参加し、田井中会長が同組合の活動内容として▽宿泊データの分析と活用▽観光情報の収集と発信▽旅行会社との商品作り▽観光関連団体との連携―などを説明した。
 その後、リクルートライフスタイルの小室智規さんが「滋賀県・彦根市の現状と今後について」をテーマに講演。彦根を訪れた観光客の月ごとの消費単価が長浜と比べて2000円~3000円ほど安いデータや、彦根の観光客のシングルの利用率が高い数値を示した上で「彦根のホテルはビジネス利用が大半で、もっと観光客の宿泊が増える取り組みが必要ではないか」と分析した。
 また宮城県気仙沼市のDMO(観光に関する法人組織)の事例をあげ「気仙沼は目標を明確にした上で、市、商工会議所、観光コンベンション協会などが、誘客営業、情報発信、イベント対応、施設整備など役割を整理し体制を作った」と紹介した。
 講演後には同組合の会員から市へ「情報提供を早くしてほしい」などの要望が出ていた。次回は10月25日に予定しており、以降2カ月に1回ペースで開くという。

サロンバー・シスル宮下純さんキューバ産葉巻に合う「エッセンス・オブ・ハバナ カクテルコンペディション」で優勝

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 彦根市旭町のサロンバー・シスル店主の宮下純さん(41)=城町=が、キューバ産の葉巻に合うオリジナルカクテルの味と見た目を競う「エッセンス・オブ・ハバナ カクテルコンペディション」で見事、優勝。出品作の「ヴィニャーレス」の提供を4日から開始した。
 同コンペはキューバ産葉巻の輸入会社のインターコンチネンタル商事(東京都港区)シガークラブ事業部が、葉巻に合うカクテルの味などを競ってもらおうと今年から開催。全国より応募のあった80人のレシピから、7月下旬に行った書類選考で宮下さんら5人を選んだ。先月30日に東京都内で開催したファイナルステージでは在日キューバ全権大使ら3人の審査によって宮下さんが優勝した。
 出品作のヴィニャーレスはキューバにある世界遺産のビニャーレス渓谷から命名。宮下さんの実家の多賀町で育てたキューバのミント・イエルバブエナのほか、キューバのラム酒・ハバナクラブ、ライム、オレンジジュースなどを使用。宮下さんによると、キューバの葉巻に合うカクテルはチョコやコーヒーなどを入れて甘くするのがセオリーだが、ミントを使ったことで「さわやかで味わい深いカクテルに仕上げた」。
 宮下さんは15年以上前から多くのコンペに出品してきたが、これまでは準優勝が最高。初の優勝について「有力な方がいて、審査の段階でもその方が好評だったため、優勝できるとは思っていなかった。めちゃくちゃうれしいです」と笑顔を見せていた。
 ヴィニャーレスはアルコール度数18%。1杯1200円。開店時間は午後6時~翌午前1時。問い合わせは同店☎(22)7071。

日本人初9秒台の桐生祥秀選手 歴史に名を残す偉業

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 彦根出身で東洋大の桐生祥秀選手(21)=写真=が、9日に福井市内で開かれた日本学生陸上対校選手権の100㍍で日本人初の9秒台となる9秒98を記録。日本陸上界の歴史のページに名を残す偉業を、全国放送のテレビ番組や全国紙が相次いでトップで報じた。
 桐生選手は競技後のインタビューで「大学最後の100㍍で9秒台を出せたのはうれしい。やっと世界のスタートラインに立った」と語っていた。その後の自身のツイッターには「10秒01を出してから4年。本当に応援が力になりました」とつづり、このツイートには24万件以上の「いいね」が付いている。
 桐生選手が彦根市立南中学校時代の陸上部顧問だった大橋聖一さん(56)=現・西中教頭=は「日本人初の9秒台は本当にすばらしいこと。いずれは出すと思っていました。これからも記録を伸ばしほしい」と話していた。
 桐生選手が中学生時代に利用していたキムラスポーツ(彦富町)代表取締役社長の木村守さん(67)は「9秒台というプレッシャーがなくなり、これからがスタートだと思います。がんばってほしい」と語っていた。
 大久保貴市長は「日本中が夢みていた9秒台、桐生選手ならば成し遂げるに違いないと確信していました。今後のますますのご活躍を期待します」とコメントした。

彦根の桐生君から世界の桐生選手へ

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 日本人初の9秒台を出し、今や時の人になった桐生君だが、小生が桐生君と最初に出会ったのは今から7年前の8月、まだあどけなさが残る中学生の桐生君だった◆その時の記事は、陸上競技200㍍で中学生・全国ランキング1位だった桐生君にインタビューした内容で「全国1位を目指す」とだけ抱負を述べていた◆洛南高校2年時に100㍍10秒21の高校記録を出した際は、桐生君の自宅でインタビューし「目標は4年後のブラジル・リオで開催される五輪に出場。そして9秒台を出したい」と語っていた。いずれの目標も達成したのだから、舌を巻かざるを得ない◆また平成26年の元日号で特集ページを掲載するため、前年12月ごろに再び自宅を訪問。小生の「国民は日本人初の9秒台を期待しています」の問いに、桐生君は「まずは10秒0台をコンスタントに続けて、そのどこかで9秒台が出せれば良いなと思っています」と答え、また「2016年にはブラジル・リオで、20年に東京で五輪がありますが」の質問には「まずは両方の五輪に出場することが夢です。そのためには、海外の選手たちと対等に勝負できる体作りに努め、五輪では決勝に進めれば良いと思います」と答えていた◆ちょうど、この頃は東洋大への進学が決まっていた高校3年生の時で、小生の帰り際に母親の後ろから恥ずかしそうにしていたのを記憶している。桐生君が大学進学後も帰郷時などに他のマスコミと一緒に取材することはあったが、堂々としたマスコミ対応に、すでに彦根の桐生君から日本の桐生君になったなと陰ながら眺めていた◆そして9秒台を出したことで、桐生君は「世界の桐生選手」になり、日本国民の憧憬の的にもなった。だが、小生ら市民にとってはいつまでも彦根の桐生君であり、市民の一人として桐生君の活躍をこれからも応援し続けていきたい。 (山田貴之)

彦根市内でセアカゴケグモ発見、注意を

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 彦根市は14日、平田町で毒をもつセアカゴケグモ=写真=が発見されたと発表した。
 セアカゴケグモは体長がオス約3㍉、メス約1㌢で、メスは全体的に黒く、背に赤い帯状の模様があるのが特徴。オーストラリアやニュージーランドなど熱帯から亜熱帯にかけて生息しており、日本では平成7年に大阪府高石市で初めて発見。危険外来生物の一種になっており、近年は滋賀県内の各市町でも確認されており、彦根市内では昨年秋にも見つかった。
 毒をもつメスにかまれると激しい痛みを感じ、熱感などの全身症状を生じる場合がある。通常は数日で症状が軽くなるが、頭痛や筋肉痛、不眠などが継続することもある。側溝や排水溝、花壇の周辺、プランターの下、墓石のすき間、エアコンの室外機、壁のすき間、すべり台やベンチの裏、庭のサンダル内などにいるとされる。家庭用の殺虫剤などで駆除できる。
 今回、平田町では13日午後5時ごろにバイクの修理作業をしていた市民が側溝付近でセアカゴケグモ2匹を捕獲。連絡を受けた市職員が引き取って駆除した。市は「発見した場合は素手で触らず、殺虫剤で駆除してほしい」と注意を呼びかけている。

大橋悠依選手に単独インタビュー 抱負や父親への思いなど

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 滋賀彦根新聞は彦根市市民栄誉賞の授与が決まった大橋悠依選手(21)=東洋大4年=に受賞の喜びや今後の抱負などを聞いた。
 大橋選手は7月にハンガリーで開催された世界水泳選手権大会の200㍍個人メドレーで日本新記録の2分7秒91で銀メダルを獲得。今月3日に大阪で行われた日本学生選手権の400㍍個人メドレーでも大会新記録となる好成績を収めた。
 翌4日に約9カ月ぶりに帰郷。「やはり彦根に帰って来ると落ち着きます」と話し、市民栄誉賞の受賞を最初に聞いた際には「まさか、という思いでびっくりしました。とてもうれしいです」と笑顔を見せた。
 今後の目標としては2020年の東京五輪をあげた上で「東京五輪にピークを持っていけるようにしたい。個人メドレーの200㍍と400㍍の両方で金メダルを獲得できるようがんばりたい」と語り、「世界の選手は筋力があるため、私も折り返しの壁をける力や後半に追い上げる泳力を意識して練習していきたい」と意気込みを話していた。
 彦根市民へのメッセージとしては「パブリックビューイングなどで応援して頂いているので感謝しています。2020年に向けて精進していきますので、これからも応援よろしくお願いします」と述べていた。
 インタビューには父親の忍さん(58)と姉の芽依さん(26)も同行。忍さんに対して大橋選手は「いつも欠かさず試合を見に来てくれていた。結果が悪い時でも父は優しく見守ってくれていました」と感謝を示した。忍さんは「今よりも一歩ずつ、少しずつ記録が伸びることを期待しています」、芽依さんは「苦労して練習してきたことも知っています。(妹の)笑顔を見ると私もうれしい。これからもがんばって続けてほしいです」と話していた。

川嶋副市長が辞表提出認める 広域ごみ候補地選定巡り「力不足」、原町との文書の存在も

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 彦根市の川嶋恒紹(ひさつぐ)副市長が12日の市議会一般質問で、新しい広域ごみ処理施設の建設候補地の選定を巡って、辞表を提出していたことを明らかにした。北川元気議員が滋賀彦根新聞7月5日付けの副市長の辞意疑惑の記事を取り上げながらの質問に答えた。
 辞表を提出した理由について、副市長は「体調の問題もあったが、広域ごみ処理施設建設候補地の決定過程に関して自分自身の力不足を痛感し、6月26日に一身上の理由で市長に提出した」と答弁。辞表の取り扱いについて市の担当者は「市長から留まるよう説得があり、その受理は保留になった」と答え、副市長は「辞意表明後、10人以上の方と話をして、かなりかっとうしたが、最終的には職責を果たすべきという考えに至り、7月3日に取り下げた」と述べた。北川議員は「副市長は(辞表を提出することで)市長に伝えたいことがあったのではないか」と迫り、大久保市長は「副市長が辞意を固めるまでに至ったことは重く受け止めている。私自身の不徳の致すところだと反省している」と謝罪した。
 また北川議員は独自で入手した、新しい広域ごみ処理施設の建設候補地を選ぶ1市4町の首長と川嶋副市長による管理者会の6回目の会議終了後、副市長と原町で交わされた文書を示しながら、その内容と経緯について説明を求めた。これに対し副市長は、私から一方的に地元関係者に渡したものと強調した上で「(原町に)新しいごみ処理施設の候補地になる方向である旨を記載した文書で、5月30日に来庁した地元関係者の求めに応じる形で渡した」と答弁。市長の関与については「市長の了解を得たものではない。あくまでも一存で行った」と否定した。北川議員は建設候補地の選定についての報告を副市長が独断で行った点を疑がった上で副市長の責任を追及。市長は「他市の事例を参考にし、弁護士にも相談した上で対応していく」と何らかの処分を下す可能性を示した。
 このほか、谷口典隆議員も副市長の辞表提出問題を取り上げ、市政を混乱させた認識について質したが、市長は「管理者として候補地を選定した。竹原を選定したことで市政を混乱させたとは思っていない」と語った。
 ※(解説)本紙の報道後、川嶋副市長が辞表を提出していたことが初めて公で明らかになった。そして「原町にほぼ決まり」とする文書の存在も公になり、その文書には川嶋副市長名と印が押されている。
 副市長の辞表提出には、管理者会の会議7回目の会議で急きょ意見を変えた市長=本紙8月23日付け参照=に対する抗議の意味と忸怩たる思いが込められていたと思われる。副市長を辞任寸前まで追い込んだ理由は市長が管理者会の最後の会議で急きょ意見を変えたためだが、市議会一般質問でも納得できる答弁は聞かれなかった。
 そして副市長と原町で交わされた「私的」な文書に市長が関わっていないとは到底思えない。約100億円の大規模事業を副市長の独断で約束できるはずがなかろう。
 市長がなぜ急きょ意見を変えたのか、原町との文書に市長は関わっていないのか、もし本当に関わっていないとすれば副市長の行為は許されるのか―、市議会は今後もこの問題を追及し続ける必要がある。   (山田貴之)

彦根藩下の町人・田中藤助の日記を紹介する講座24日彦根市立図書館で

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 江戸時代中期の米相場や相撲の番付などがわかる彦根藩下の町人・田中藤助(とうすけ)の日記=写真=を紹介する講座が、24日午後2時~彦根市立図書館である。市立図書館の書庫で保管する古文書の内容について彦根城博物館の学芸員が紹介する講座の1回目。
 藤助は彦根城下の四十九町(現・城町)で過ごし、46歳だった享保16年(1731)から明和5年(1768)までのほぼ毎日、日記を書き続けた。藤助は彦根藩が管理していた松原の米蔵の出納管理などをする御蔵手代(てだい)という役職に就いていた。
 日記は19冊残っており、そのうちの一部を彦根城博物館学芸史料課長の渡辺恒一さんが解読。彦根藩七代・直惟(のぶ)から十代・直幸(ひで)までの時代について、米の相場や彦根藩士の給料など仕事の話のほか、火事や盗難、相撲の番付、祭り見学などまちやプライベートな話題まで取り上げられているという。
 渡辺さんは「藤助の日記を紹介することで、当時の城下町やそこに暮らす人々の様子がわかるのでは」と話している。講座の講師は渡辺さんが担当。受講無料。定員50人。申し込みは市立図書館☎(22)0649。
 市立図書館は江戸から昭和時代の古文書や歴史資料が約30万点保管。その「特別コレクション」をもとに10月と12月にも講座を行う。
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