除地絵図は天保11年(1840)11月に彦根藩の普請方によって、横204㌢×縦116㌢で製作された。渡辺さんは江戸期の松原村の一部が記された御城下惣絵図を示しながら、松原村には松原湊、藩主の下屋敷(お浜御殿)、筆頭家老・木俣土佐の下屋敷などのほか、天保15年には本家や借家計407軒に1587人が住んでいたと説明。
一方で、除地絵図には187軒が記されているが、約220軒が描かれておらず、絵図には空白部分に「御年貢地」と書かれていることから、渡辺さんは「記されたエリアが御除地で、そこは年貢の免除地だったと推測できる」「御城下惣絵図に松原村の屋敷が描かれているのは、そこが城下町の屋敷と同じ年貢の免除地だったからだ」と述べた。
また天保4年の記録を参考に、松原村では農業や漁業、船業のほか、城内の蔵へ米を搬出入する「御蔵出入り」、松原湊に運ばれた年貢米の保管と納入先ごとの仕分け作業をする「米宿」などの仕事があったと紹介。
そのうち米宿の家は彦根城を隔てた川沿いに「土蔵」を所有し、除地絵図には約60軒掲載。これについて渡辺さんは「彦根藩の年貢米の納入制度の変更で、江戸時代後期に土蔵が増加したとみられる」とし「景観を気にした普請方から土蔵の排除命令が出たことが除地絵図の作成の原因になった」と語った。
今回の講演会は彦根市立図書館創設100周年記念として開催された2回目で、市民ら約50人が受講。3回目は11日午後2時~高宮地域文化センターで御城内御絵図と御城下惣絵図についての講演会がある。