彦根市佐和山町の佐和山城下の大手口と伝わる場所の発掘現場で、いずれも16世紀後半と見られる内堀や土塁、建物などの跡が見つかった。30日午後1時半~現地説明会がある。
市教委文化財課は平成23年度から佐和山城跡の調査を進めており、昨年度からは江戸時代後期に作られた佐和山城絵図を参考に、大手口周辺で内堀の一部(第1調査区=42平方㍍)や土塁(第2=42平方㍍)、武家屋敷地区と伝わる場所(第3=288平方㍍)で発掘調査を行っており、各区で良好な状態で残っている遺構を確認した。
滋賀県が平成21年と22年に佐和山の東側の城下で行った調査では、石田三成時代の武家屋敷跡や、内堀へ流れ込む溝、当時の百々(どど)町を通っていた主要道、井戸などの跡を確認したが、大手口周辺での遺構の確認は初めて。
大手口周辺で確認された内堀は幅が約24㍍・深さが約1・7㍍の石垣が無い素掘りで構築。土塁は内堀を掘削する際の土砂で城内側に作られ、内堀側の方が城内側よりも急斜面になっていた。上幅が約6・4㍍、下幅が約11・2㍍の台形で、内堀の底から土塁の最上部の高さは4・5㍍以上。土塁の上には幅2・5㍍間隔で2基の穴があり、柵などが建てられていた可能性もある。
武家屋敷地区では礎石や掘立柱などの建物跡が確認。また大手口のほぼ中央に位置する発掘現場の南端に幅1・2㍍以上の溝跡があり、東西方向には幅60㌢~80㌢の溝跡も出てきたため、東西の溝が中央に位置する南端の溝に流れ込む形で整備されていたと見られる。
大手口周辺はわき水が豊富で地盤が安定していなかったため、排水機能にこだわっていたと思われる。文化財課の林昭男主査(38)は「地盤が軟弱な地にもかかわらず大手口などが整備されたのは、当時の佐和山周辺が交通の要所で、戦略的にも重要な位置だったためではないか」としている。
説明会の参加無料。小学生以下は保護者同伴。長靴などで。集合場所はつるやゴルフの斜め前。駐車場無し。雨天決行。午前中の問い合わせは文化財課☎(26)5833。