県文化財保護協会は3日、彦根市松原町で発掘調査している松原内湖遺跡から、祈とう用に集落の境界につるされたと見られる鎌倉時代末期の「勧請板(かんじょういた)」=写真=が見つかったと発表。きょう6日に県立安土城考古博物館で公開される。
国道8号米原バイパスの整備事業に伴い発掘調査を平成24年度からしており、今年度(4月~来年2月)はそのうちの8000平方㍍で実施。これまでにも縄文時代の遺構や奈良時代から室町時代にかけての集落跡が見つかっており、今年度の調査でも鎌倉~室町にかけての柱穴や溝、井戸など集落跡が発見された。
見つかった勧請板は木製で、縦12・8㌢×横27・8㌢×厚さ7㍉の絵馬型。表面に墨で「仁王経一座般若心経十二巻、観世音経十二巻謹んで掲げます」「息災延命、増長福寿を願う、信心の篤い大施主です」「元徳3年正月八日」などと書かれている。元徳3年は鎌倉時代末期の1331年。同じ読み方で巻数板とも書く。
正月8日は、寺院では旧年の悪を正し、その年の吉祥を祈願する修正会(しゅうしょうえ)と呼ばれる法会の最終日にあたり、その際に読まれた経典の数や願いを書いた板を屋敷の門や集落の入り口に縄を張って1年間つるす習わしがある。現在でも近畿地方を中心に正月行事の「勧請つり」として全国で行われており、滋賀県では東近江市を中心に広く残っており、絵馬型の祈とう札をつり下げる集落もある。
中世の勧請板の出土は近畿では初だが、全国ではほかに、石川県金沢市の堅田B遺跡で「建長三年」(1251)「弘長三年」(1263)と書かれた2点が出土。金沢のは堀を伴う屋敷地から般若心経の全文が記された長方形の物が出土した。戦国時代の越後国(新潟)の領主・色部氏の記録「色部氏年中行事」にも正月八日に般若心経を書いた板をつり下げる儀礼の様子が書かれている。
松原内湖遺跡では以前の発掘で、供養のために墓地などに立てる木製の供養具「卒塔婆(そとば)」が1点出土しており、見つかった勧請板にも記された卒塔婆12本のうちの1本の可能性があるという。
奈良文化財研究所の史料研究室長・渡辺晃宏さんは「勧請つりの行事が集落においても鎌倉時代末期に今と同じような形で広く行われていたことを示す重要な発見。木簡としての残りの良さは、行事終了後の速やかな廃棄を予測させ、卒塔婆と共に行事の全体像をうかがわせる」と話している。
県立安土城考古博物館での公開時間は6日午後1時~と同3時~。