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佐和山城の外堀跡発見

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 彦根市佐和山町の佐和山城の旧城下町で発掘調査をしている県文化財保護協会は、石田三成が城主だった頃に整備したとみられる外堀の一部を発見したと発表。豊臣秀吉政権時代に築かれた城外の堀や土塁などの「惣構(そうがまえ)」の確認は近江で初めてだという。きょう20日午後1時半~現地説明会を開く。
 同協会はこれまでの旧城下町の調査で、2009年7月に三成家臣団の屋敷跡、10年3月に内堀跡、19年9月に橋台や道、溝、建物の跡、2011月にメインストリートの本町筋跡を発見。2018年度以降は国道8号米原バイパスの整備に伴う発掘調査を実施しており、今年度はそのうち1490平方㍍を調査してきた。
 
「惣構」近江で初確認
豊臣家臣で最初、志野焼も
 
 外堀は現在の小野川がその名残とされ、位置や形状は推定されていたが、発掘調査の結果、ちょうど90度ほどに折れ曲がる地点に位置する全長約7㍍、幅約10㍍、最深部の深さ約70㌢の外堀跡を確認した。ほかに外堀跡の底からは、16世紀最末期から17世紀初めまでの焼き物「志野焼」の茶碗の破片など5点も見つかった。
 三成が城主になった翌年の文禄5年(1596年)に家臣の須藤通光(みちみつ)が書いた書状「佐和山惣構御普請」には、外堀を含む城下町を整備した内容が記されているため、同協会は「三成時代に築かれた外堀だとほぼ断定できる」と報告。豊臣政権時の惣構は秀吉直轄の伏見城や大坂城のみで、近江の八幡山城、水口岡山城、長浜城では確認されていないといい、同協会では「秀吉が佐和山城を重視していたことや三成への信頼がわかる遺構だ」としている。
 滋賀県立大学の中井均名誉教授は「今回の発掘調査で堀の存在と位置が確認できた意義は大きい。惣構は大坂城でも慶長3年(1598年)に構えられているため、今回の惣構の堀は豊臣政権の家臣では最初に築かれたものとして評価される」と話している。
 現地説明会は参加自由。場所は国道8号線を米原方面に向かってつるやゴルフの手前を左折し、近江鉄道線を越えた突き当たりを左折して進んだエリア。駐車場なし。問い合わせは県文化財保護協会☎077(548)9780。
 

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