井伊直政公を火葬した場所として知られる彦根市中央町の長松院(ちょうしょういん)に、直政公を描いた縦2㍍70㌢×横1㍍65㌢の巨大な絵が掛け軸として置かれていることがわかった。直政公の没後300回忌に合わせて描かれた絵とみられ、井伊家十八代当主で市教委歴史民俗資料室の井伊直岳さんは「直政公自身の絵の存在は初めて知った」と話していた。
直政公は慶長7年(1602)2月1日に死去し、遺言により善利川(芹川)の中州だった場所で荼毘(だび)に伏された。その場所には甲冑などの遺物が埋葬され、塚といおりが建立。その年の6月に禅堂が作られ、「祥壽(しょうじゅ)院」と命名。その後、直政公の幼名・虎松の一文字をとって長松院となった。
直政公の没後300回忌の明治34年(1901年)には火葬した場に新たな供養塔が有志によって修繕整備され、手塚紀洋住職によると、その際に直政公を描いた絵も同寺に寄贈されたという。同じ年の4月3日から5日にかけては彦根城開城300年紀念祭も開催されており、井伊さんは「紀念祭の行列の様子を描いた巻物や絵馬の存在は知っているが、直政公自身を描いた絵が長松院に残されていたことは知らなかった」と話していた。
絵は「赤備え」の甲冑を着て、馬上でやりを手にした直政公が勇猛果敢な様子で描かれている。左下には彦根藩士で明治時代の書聖として知られる日下東作(日下部鳴鶴)が記したとみられる漢詩と、右下には絵の作者として日本画家・青柳琴僊(あおやぎきんせん)のサインが書かれている。
長松院では「直政公出陣之絵図」として、奥の間で掛け軸として置いてきた。手塚住職は「あれだけ迫力のある絵はないと思います。直政公ゆかりのお寺として、大切に守っていきたい」と話している。見学可。問い合わせは長松院☎(24)3225。