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井伊直弼の手紙展示 シリーズ直弼のこころ第1弾

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 10日に開幕する井伊直弼公生誕200年祭に合わせて、彦根城博物館は関連展覧会「シリーズ 直弼のこころ」を5回のテーマ展に分けて開催。第1弾は今月10日~8月18日に「直弼のことば―手紙にあらわれた人柄―」を行う。
 直弼公は埋木舎での生活から世継ぎ、彦根藩主、大老へと立場を大きく変えていく際、江戸幕府や彦根藩士に多くの手紙を出している。テーマ展では直弼公が残した言葉に注目しながら、当時の心境や人柄を探る。
 計17点を展示。弘化2年(1845)8月19日に彦根藩士の犬塚外記(げき)に宛てた書状は世継ぎになる前の直弼公が自己分析をした内容が記されている。口数が少ない意味の「木訥(ぼくとつ)者」という文字を使って、兄で十二代藩主の直亮の前でも気の利いたことが言えないとし、「大臆病者」のため直亮が好んだ騎射(うまゆみ)もしないとつづっている。騎射が流行している一方、ほかの武芸が軽視されていることを懸念しながら、直亮への反感がこの頃からあったことがわかる。
 彦根藩士の安東貞信に宛てた弘化4年2月23日の手紙は、直亮が幕府から相州(神奈川県)警衛を命じられたことに怒っている内容。「当家の瑕瑾(かきん)」との言葉からは、相州警衛が井伊家の家柄を傷つけるもので京都守護こそがふさわしいとの認識があったことがわかる。また家柄に見合わない勤めを命じられた原因は直亮の振る舞いにあるとも批判している。
 嘉永6年(1853)6月に米国のペリーが来航した際に直弼公が幕府に提出した外交意見書の下書きは、欧米諸国との軍事力の差を認め、交易をいったん許容するよう述べた内容。「年月を経て必勝万全」との言葉からは、交易をして海軍力を高めて、体制を整えた上で再び鎖国に戻すという構想がうかがえる。
 ギャラリートークは11日午前11時~と午後2時~。
 彦根城博物館が直弼公生誕200年祭の期間中に行う「シリーズ 直弼のこころ」のうち2回目以降は以下の通り。▽8月21日~9月15日=「忠義の遠城謙道―主君直弼への思いと禅画」▽9月18日~10月20日=「一期一会の世界 大名茶人井伊直弼のすべて」▽10月23日~11月24日=「学びの人 井伊直弼」▽11月27日~12月23日=「井伊直弼の甲冑と刀剣」。


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