彦根市の鳥居本エリアの山間部には、仏生寺、笹尾、男鬼、武奈、荘厳寺、善谷、中山の7つの山村集落がある。そのうち男鬼町は標高約420㍍地点にあり、昭和40年代後半に「廃村」となって以降、これまでに滋賀県立大学などが再興に向けた活動を展開。彦根市の和田裕行市長もその活用を模索している。本紙の山田貴之記者はかつて男鬼町で過ごしていた大久保則雄さん(67)=原町=や滋賀県立大学の学生たちの活動に同行。男鬼町の歴史や再興に向けた活動内容などを紹介する。
領地争い直訴で処刑
男鬼という名は奈良時代の神護景雲3年(769年)、雲仙山の山下に建立された7カ所の精舎のうちの1カ所が男鬼寺と呼ばれ、男鬼町内にあったことが由来とされるほか、「かつて鬼のような男がいた」との言い伝えも残る。
江戸時代の村高が32石余りで、明治時代初期には27戸に140人が住んでいたとされ、ほかに50戸ほどの家があったとする記録が残る。
元禄16年(1703年)には、荘厳寺との領地争いが起こり、男鬼の男衆5人が「理不尽な扱いを受けた」として直訴。当時の直訴は打ち首が原則だったため、城下町の久座の辻に5人の首がさらされたという。男鬼の村民たちは恐れてとむらいに行けなかったが、あわれんだ明照寺(平田町)が引き取り、お祀りした。現在も同寺で法要が行われている。
木炭や養蚕も盛ん
男鬼町では米を作っていなかったため、主産業の林業による木炭を彦根市内で売り、米や日用品を買って帰る生活だったが、昭和30年代のいわゆる燃料革命によってガスや石油が普及し、それに伴って木炭の需要が減った。昭和初期には養蚕業が盛んになり、ほぼ全戸が営んでいたとされるが、これも労働力不足と需要減で廃業した。農作物では昭和30年代前半までゴボウが栽培され、特産品の「男鬼ゴボウ」として彦根市民に親しまれていた。
片道2時間で通学
「少年山の家」も
学校としては明治19年(1886年)11月1日に、男鬼と隣の武奈、明幸(みょうこう)の各村を通学区域とする武奈簡易科小学校が設立。明治24年に男鬼に分教場が開設されたが、その年の4月1日に廃止され、全村を通学区とする鳥居本尋常小学校と改称された。しかし男鬼など3地区の児童生徒向けに明治33年に明幸に武奈分教場が設置。平成2年(1990年)3月末に廃校となり、跡地に石碑が立っている。
大久保さんによると、現在は完全に廃村となった明幸の分教場まで、片道約2㌔を毎日、峠を越えて通学。降雪日は村人が踏みしめて通学路を確保したといい、通学が難しい際は寺で授業を受けたという。中学校時代には男鬼から片道約2時間かけて歩いて山を下り、現在の鳥居本中学校に通っていた。
昭和27年に鳥居本村が彦根市と合併し、昭和30年代の燃料革命などによって、山下の鳥居本などへの移住者が続出。昭和40年代後半には居住者がいなくなり、廃村となった。解体する家もあり、現在の戸数は7軒のみとなっている。
昭和48年から平成14年まで、旧宅が彦根市教委に期間契約で提供されて「男鬼少年山の家」が開校。市内小学生の自然体験学習の場となっていた。
旧男鬼町民の氏子や信者ら世話
男鬼町の集落には日枝神社があり、5月第2日曜日と9月第2日曜日にそれぞれ春祭りと秋祭りを営んでいた。
そして山上には伊邪那美大神(イザナミノミコト)を祭神とする比婆神社がある。集落近くの山下の案内板によると、境内規模は4530坪(約1万5000平方㍍)。江戸時代中期の宝暦年間以前に神殿が建立され、大正時代末期に崇敬者の寄進によって「荘厳なる」社殿が再現された。現在も巨大な岩山の前に社殿が建っている。
比婆神社は長く女人禁制の地だった。武奈分教場に教員として勤務していた木下利三郎さんは長浜市石田町に昭和14年ごろから居住。比婆神社の荘厳さとご利益の多いことを地元で紹介していたとされる。御岳教金屋布教所(長浜市石田町)初代の山室(下村)うたのさんが昭和初期ごろに比婆神社を訪れて以降、女人禁制では無くなり、以降も県内外の信者たちや現在の三代・下村八重子さん(70)が世話をしてきた。
男鬼町の集落近くにある最初の大鳥居から山上の社殿までには参道があるが、徒歩だと片道40分前後かかるという。そのため信者たちの資金で約35年前に車道が約1㌔にわたって整備された。また10年ほど前の台風で社殿が倒壊したが、信者の寄進によって再建された。
集落内に誓玄寺
比婆神社の宮司は高宮神社の宮司が務めている。氏子総代の大久保さんら男鬼出身者(氏子)らが参加し、毎年5月第2日曜日に春祭り、9月第2日曜日に秋祭り、11月最終日曜日にしめ縄法要を実施している。
集落内には報徳2年(1450年)建立とされる浄土真宗本願寺派の誓玄寺があるが、昭和50年代に廃寺となった。
【参考文献=「ふるさと鳥居本」「新修彦根市史第十一巻民俗編」】
(写真=畑の草刈りをする県立大学の学生たち)
県立大が再興プロジェクト
民家整備や畑作「里山体験施設に」
滋賀県立大学環境科学部の芦澤竜一教授と川井操准教授の合同チームが「男鬼プロジェクト」と題し、今年5月から男鬼町の再興に向けた取り組みを進めている。
代表で環境科学研究科3年の川畑大輝さん(23)ら学生17人が所属。昨年だけで30回、現地を訪問。拠点にしている大久保さんの旧宅の清掃と整備のほか、ジャガイモ、春菊、ゴボウ、サツマイモ、ダイコンの栽培をしてきた。
本紙記者が訪れた際は川畑さんと、環境科学研究科1年の岡田大志(ひろし)さん(24)、環境科学部3年の澤木花音さん(22)が活動し、畑の草刈りなどをしていた。今年は建物の改修に向けた設計や部分的な改修などを行い、「カーボンゼロ」をコンセプトにしたインフラ整備についても検討する。
将来的には5年後をめどに里山体験型の「宿泊施設」としての整備を計画している。川畑さんは「初めて男鬼町を訪れた時、良い状態で集落が残っていて、厳密には『廃村化』していないと思った。信仰なども残っており、先人たちが築いてきた集落を次世代に継承したいと思った。課題が山積みで先行きも見えませんが、一つずつ手をかけたい」と話していた。
男鬼の活用策について、和田裕行市長は交通アクセスや家屋の老朽化、インフラの問題から「すぐに市民レジャーの活用や観光客誘致は難しいが、短期的には映画のロケ地としての活用が現実的。自治会の皆さんの意向を踏まえながら、進めたい」と説明。
大久保さんは旧宅の維持が難しいため、解体することも考えたという。「集落には比婆神社や原風景が残っており、歴史ある村。学生や行政の皆さんには、ずっと使えるような計画の立案を期待している」と語っていた。