神道の世界で大麻など麻は、けがれを祓(はら)う力を持つとされ、神事のお祓い用具や鈴の緒、しめ縄に使用。天皇陛下が大嘗祭でお召しになった衣「麁服(あらたえ)」にも使われている。相撲で横綱が土俵入りする際の化粧まわしも大麻で作られている。
近江上布はその前身の高宮布(※)が江戸時代、幕府に献上されるほど全国に流通。現在は大麻を原料に愛荘町や東近江市で麻布が生産されている。滋賀県護国神社では日本文化とつながりがある麻製のお守りを作ろうと、近江上布伝統産業会館(愛荘町)に依頼。同会館の非常勤職員で、大麻の繊維を裂いて繋いでいく苧績(おう)みの職人・近藤美和さん(51)=西今町=と、機織りの職人・山口礼子さん(45)=長浜市=が製作を担当した。
完成したお守りは縦6・5㌢×横3・5㌢。麻の持つ力でけがれを祓い、天に向かって真っすぐ伸びる麻のように自分の才能を発揮してもらおうとの願いを込めているという。名称には苧績みと近江にちなんで「おうみ」を入れた。1個1600円。
25日には山本大司禰宜(ねぎ)(43)がお守りに「入魂」した後、近藤さんと山口さんによる苧績みと機織りの実演が行われた。山本禰宜は「麻の本来の美しさがわかるお守りができました。近江上布のすばらしさと、日本の麻文化を見つめ直すきっかけにもなれば」と話していた。
※【高宮布】
湖東地域は室町時代から麻織物の産地として全国的に知られ、江戸時代には彦根藩が統制して幕府にも献上していた。高宮は近江商人が全国に流通させる拠点地で、その麻織物は高宮布として人気だった。
江戸時代は越後緬、奈良晒、薩摩上布と並び近世四大麻布の一つで、高宮布は唯一、大麻を原料に現在の愛荘町や東近江市などの地で生産され、高宮宿で販売されていた。
しかし明治時代になると、藩の後ろだてがなくなった上、産業構造の変化の影響もあり、麻織物は衰退した。その後、生産拠点が旧愛知郡や旧神崎郡に移り、昭和52年(1977年)に近江上布として国の伝統的工芸品に指定された。