漫談師の旭堂南海さんを招いた講談会「直継と直孝」が21日、彦根市本町の宗安寺で行われた。
彦根藩初代藩主の井伊直政には正室・唐梅院の子の直継と腹違いの直孝がいた。彦根城が築城された際は直継が家督を継いでいたが、直政死後の藩内の混乱を収めるため二代藩主には徳川家康の命で直孝が就き、直継は直勝と改名して安中藩(群馬県)に移った。宗安寺は直政が上野国(群馬県)の箕輪城主だった頃に唐梅院が建立した安国寺が始まりで、佐和山山麓に移された際に宗安寺と改名。彦根城の築城時に現在の地に移った。
旭堂さんは、家督を継いだ直継について「病弱」「出来が良くなかった」との評判があることにふれ「勝手に後付けされたものだ」と指摘。彦根城築城時に人柱が必要になった際、空の棺を入れて女児を助けたという逸話を紹介し「迷信よりも人命を大切にした人柄があった」と称えた。
直孝は二代将軍・秀忠の近習として仕え、大坂の陣でも武功を立てた。直政の死後、彦根藩は旧武田家の家臣を交えた派閥争いで混乱していたため、それを危惧した家康は直継の代わりに直孝を彦根藩一五万石(当時)の二代藩主に就かせ、直継には井伊谷時代からの家臣と共に安中藩三万石を任せた。
旭堂さんは直継と直孝を巡る歴史を紹介した上で「2人が切磋琢磨すれば良かったのだが、時代の変わり目にほんろうされた。派閥争いという災いがあったかもしれないが、2人が彦根城を完成させたと言える」と述べた。
旭堂さんの講談会は彦根夢京橋商店街振興組合が、この日から彦根城の梅林で始まった「ひこね梅あかり」に合わせて企画し約50人が来場した。