Quantcast
Channel:     滋賀彦根新聞
Viewing all 1894 articles
Browse latest View live

滋賀飲料が炭酸飲料「直虎」「直政」を彦根市内の土産店や飲食店で販売

$
0
0
 大河ドラマ「おんな城主 直虎」に合わせて、彦根市本町1丁目の滋賀飲料は井伊直虎と直政をイメージした炭酸飲料「直虎」「直政」を、20日から彦根市内の土産店や飲食店で販売している。
 「直虎」はりんごの花言葉「もっとも優しき女性に」からりんごテイストに、「直政」は井伊家の家紋の橘からオレンジテイストにした。子どもから高齢者まで幅広く味わってもらおうと、ビール瓶形式にし、グラスに注ぐとビールの様に泡立つのが特徴。ラベルには直虎、直政の紹介文も書かれている。
 広報担当の瀧紀美子さん(37)は「彦根のPRになればと思い、考案しました。宴会やパーティーなどの乾杯の際に幅広い年代の方に飲んで欲しい」と話している。1本330㍉㌘、230円。販売場所は滋賀飲料のホームページに。問い合わせは滋賀飲料☎(22)6499。

彦根商工会議所が書籍「井伊家十四代と直虎」を発刊

$
0
0
 来年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に合わせて、彦根商工会議所は書籍「井伊家十四代と直虎」を発刊し、21日から発売する。
 本では、著名な歴史研究家らが直虎や井伊家などについて解説した文章と、彦根城博物館の学芸員らが彦根藩井伊家について紹介し彦根商議所の月刊誌「不易流行」に連載していた論文を掲載している。
 前半では、「おんな城主 直虎」の時代考証を務める小和田哲男・静岡大名誉教授による「井伊谷の直虎」、著書「井伊直虎」などがある作家の梓澤要さんの「直虎と直政」、テレビでおなじみの河合敦・多摩大学客員教授の「彦根のラストエンペラー」など著名な研究家の論文が登場。ほかに中近世の城郭研究が専門の中井均・滋賀県立大学教授による「彦根城の魅力」や「井伊家にとっての佐和山城」、元市教委文化財部長の谷口徹さんの「井伊家と庭園」、長浜曳山博物館長の中島誠一さんの「近江の『オコナイ』と遠江の『おくない』」なども。
 後半では、彦根城博物館の学芸員が初代・直政から十四代・直憲までを1人ずつ説明した文章や、「近江の戦国時代と直虎」の年表、彦根藩井伊家系譜を載せている。
 発売元はサンライズ出版。A5判、347ページ。1800円(税抜き)。2000部発行し、21日から県内の書店、今月末から全国の書店で販売。

東野真美(まなみ)さん国際協力機構の青年海外協力隊(JICA)の一員としてセネガルに派遣

$
0
0
 彦根市小泉町の東野真美(まなみ)さん(27)が来月から国際協力機構の青年海外協力隊(JICA)の一員としてセネガルに派遣されることになり、19日に大久保貴市長を表敬訪問した。
 東野さんは彦根東高、大阪大学外国語学部を卒業後、製薬会社で営業職に就いている。以前から商品開発に関心があり、「外国の地で商品開発の支援をしたい」と思い、会社のボランティア休職制度を使ってJICAの隊員として派遣されることになった。
 派遣先はセネガルのサンルイ州にあるサンルイ手工業組合。現地では革を使った民芸品の生産者グループや事業者を巡回し、マーケティング活動や新商品の開発、組織力強化の支援などを行う。東野さんは「セネガルの人たちのお役に立てられるよう、全力でがんばりたい」と話していた=写真。来月10日から2年間派遣される。

子育て世代の支援団体「HotHot~ほどほど」小中学校用品や制服のリユースなど活動の輪広げる

$
0
0
 子育て世代の支援団体「HotHot~ほどほど」が、小中学校用品や制服のリユース(再利用)などの活動の輪を彦根市内で広げている。
 親子の交流の機会を増やしていこうと、彦根市内の主婦4人が昨年6月に結成。今年3月からは不要になった学校のランドセルや体操服、帽子、制服などをリユースする活動を金城学区と中央中学区で展開しており、10月には譲り受けた用品のクリーニング代や修理費用などに使う「ほどほど基金」を設置した。ほかの学区でもPTAなどから相談があれば、協力していく。
 また今月3日には市社協と共催で、不要になったベビー用品や乳幼児の衣服、おもちゃを進呈するイベント「無料交換会~かえっこ」を市福祉センター別館で実施。進呈品を持参する親を含めて約200人が来場し、会場では基金への募金活動も行った。
 ほかにもクリスマス会などのイベントを開催しており、副代表の國嶋理恵さん(46)=八坂町=は「子育て世代の皆さんが気さくにつながってもらえるような場所作りをこれからも目指していきたい」と話している。来年以降はリユース活動と「かえっこ」イベントを年に3回開催していく。問い合わせは「ほどほど」のフェイスブックか國嶋さん☎090(1509)1357。

彦根城築城410年祭のプロモーションムービー公式のウェブサイトに公開

$
0
0
 彦根城築城410年祭のプロモーションムービーが21日から公式のウェブサイトに公開された。
 仮想世界の彦根城を舞台に、築城410年祭に向けて意気込む殿様や家臣の様子をラップ調で仕上げており、彦根城天守や彦根城博物館の能舞台、楽々園などが撮影に使われている。出演は滋賀県住みます芸人のファミリーレストラン、即興フリースタイルラップの日本チャンピオンの鎮座ドープネスさん、シンガーのKeycoさん。映像にはアニメーションやラップミュージックも入っており、築城410年祭推進委は「エンターテイメント性の高い新感覚の動画にした」としている。映像は3分。公式サイトのアドレスは(http://hikone-410th.com/)。

尾末町の遊歩道でイノシシに襲われ男性4人が重軽傷

$
0
0
 25日午前9時50分ごろ、彦根市尾末町の市弓道場北側の遊歩道で、イノシシに市民や観光客ら男性4人が襲われて重軽傷を負った。イノシシは全長140㌢、推定体重100㌔㌘で、午前11時34分に現場から約500㍍東の川にいたところを猟友会の会員によって射殺された。市によると、イノシシによる人的被害は確認できるここ20年以内では初めてだという=写真は彦根署提供。
 彦根署によると、イノシシは背後から突進し、かみつくなどして、市内の男性(78)が左手薬指を壊死する重傷を負い、市内の男性(54)と岐阜県の男性(38)、愛知県の男性(74)が軽傷を負った。
 110番通報を受け、署員ら約30人が捜索し、船町の猿ケ瀬川にいるのを発見。彦根署は付近の約50戸に外出しないよう呼びかけ、猟友会に射殺を要請した。
 彦根署によると、この日午前9時半過ぎから長曽根や松原でもイノシシの目撃情報があり、同じ個体だという。琵琶湖から泳いで来たとみられる。
 ※(解説)=市内の市街地にイノシシが現れ、人的被害まで出るという大惨事に至った。これまで荒神山などで農作物がイノシシによって被害にあっているが、市街地ではイノシシの出現さえ近年報告されていない。
 現場は市立図書館の裏手で、金亀公園に近い上、釣りをしに訪れる人も多く、被害にあった男性のうち1人は釣りをしている最中だったという。
 市の担当者によると、イノシシは自分より大きい存在に対しては逃げる習性があり、今回は突然出くわしたため、防衛本能から必死の覚悟で攻撃したのだという。被害にあわない対策として「イノシシを発見しても、決して興味本位で近づかず、その場から離れることが大切だ」としている。

肥田町で収穫された米(日本晴)を使った純米酒「肥田城」が完成

$
0
0
 彦根市肥田町で収穫された米(日本晴)を使った純米酒「肥田城」が完成した。
 肥田町では平成23年12月に田畑が整備されたのに合わせ、「1集落1農場」方式で各農家が出資して農業組合法人ファーム肥田を設立。現在は47人の出資者がおり、31㌶の農場で米や麦、大豆などを生産している。
 今年で4年目となった純米酒「肥田城」は豊郷町の岡村本家が醸造しており、まろやかで飲みやすいのが特徴。ファーム肥田代表理事の成宮一郎さん(68)は「一度飲んだら、もうこのお酒しか飲めません」と話していた。「肥田城」は今年11月に彦根市のふるさと納税の返礼品にも採用されている。
 720㍉㍑と1・8㍑があり、生原酒(1296円と2592円)が岡村本家と肥田町の薩摩酒店で、火入れした純米酒(1029円と2057円)が2店舗とパリヤで販売している。

不登校や引きこもりの若者向けの交流の場「逓信サロン」河原2丁目の逓信舎にオープン

$
0
0
 不登校や引きこもりの若者向けの交流の場「逓信サロン」がこのほど、彦根市河原2丁目の逓信舎にオープンした。
 内閣府の今年9月の「若者の生活に関する調査」によると、引きこもりの15歳~39歳の若者は54万1000人いるとされる。彦根市子ども・若者課では、そのような若者たちが社会に入り込むためには自信と、他者や社会への安心感と信頼感を持つことが不可欠だとしている。
 市では今年10月に市福祉センター2階に市子ども・若者総合相談センターを開所し、不登校や引きこもりの若者の支援にあたっているが、気軽に若者たちが集って交流する場を提供しようと、滋賀県立大学の「地(知)の拠点整備事業」の課題研究と連携する形で11月10日に逓信サロンを開設した。
 サロンの開所時間は毎週火曜と木曜の午前11時~午後4時。NPO芹川のスタッフの田中由美子さん(54)が常駐し、掃除や料理など「日常生活でプラスになる活動」、会話や卓上ゲーム、カロムなど「コミュニケーション」、工作や映画鑑賞など「ものづくり・文化的経験」、「ボランティア・地域行事への参加」を若者たちと一緒にする。
 市子ども・若者課の担当者は「まずは家から出てもらうことが大切で、その『一歩』になればと思う。そして、自信をつけて、将来的には社会の担い手になってもらえれば」と話している。開設期間は来年3月31日までだが、来年度以降も市の事業として目指したいとしている。見学や体験自由。問い合わせは同課☎(49)2251。

元日はじめ祝日には国旗掲揚を

$
0
0
 天皇陛下の誕生日の23日は今年最後の祝日だったが、国旗を掲揚していた家庭はほとんどなかった。次の祝日になる新年の元日には掲揚する家庭が増えることを願い、元日や祝日、国旗について簡単に説明する。
 元日といえば、「年の始めの例(ためし)とて」で始まる唱歌「一月一日」が有名で、一般的に日本では太陽暦(新暦)を使い始めた明治元年以降、「年の始め」として元日を指す。昭和23年7月に成立した祝日法では「年のはじめを祝う」と記され、元日は祝日になっている。
 また明治元年には「日の丸」が国旗として内外に公表され、明治6年の元日ごろから祝日などには各家庭に国旗を掲揚する風習が広まった。戦後の数年間は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下により掲揚が抑制されたが、祝日法の制定に伴って緩和され、昭和27年4月28日のサンフランシスコ平和条約の発効により、「祝日の国旗掲揚」が固定化していった。
 しかし国旗や国歌に対して、戦後から現在にかけて式典などでの掲揚や斉唱に反発する者が一部におり、それらに影響されてか、祝日に国旗を掲揚する家庭も少なくなっている。海の日や山の日ならまだしも、国民全体で祝うべき建国記念日や天皇陛下の誕生日などでも掲揚しなくなったのは極めて残念だ。住宅業界の知人によると、新築住宅では掲揚するための場所も設置しないのが大半だという。
 来年こそ、祝日には国旗を掲揚している家庭が少しでも増えることを願いながら、年の瀬のあいさつにしたい。それでは皆さま、よいお年をお迎えください・・・。
      【山田貴之】

井伊直虎と直政の幼少期のすべて

$
0
0
 彦根藩の初代藩主・井伊直政の養母として知られる次郎坊師は井伊直虎と名乗り、井伊家存続の危機にあった時期に「女城主」として活躍した。NHK大河ドラマの主人公・直虎が過ごした井伊家発祥の地、静岡県浜松市引佐町井伊谷を本紙記者が訪れた(直虎と虎松(後の直政)の絵は光山坊提供)=文と写真・山田貴之
 直虎は井伊家二二代当主・直盛の一人娘として生まれた。直盛には男の子が生まれなかったため、直虎の許嫁(いいなずけ)だったいとこの直親に家督を継がせる予定をしていた。直虎が誕生した年は明らかになっていないが、直親と同世代だったことから、天文4年(1535)か同5年だと考えられる。
 直親の父・直満が今川家に殺され、9歳だった直親の命も狙われたため、その身は秘密裏に信州に隠された。直虎は直親が亡くなったと思い、井伊谷にある井伊家の菩提寺・龍潭寺で出家し次郎法師と名乗った。
 11年後に井伊谷に戻った直親は直盛の養子となり、奥山家の娘と結婚し、永禄4年(1561)に男の子が誕生。虎のように強く、常磐の松のように末永く栄えることを願って虎松と名付けられたとされる。この虎松が後に井伊家二四代当主・彦根藩初代藩主になる直政だ。
 虎松が生まれた年は武田信玄と上杉謙信による川中島の合戦と同年。その前年の桶狭間の戦いでは直盛が戦死するなど、戦乱まっただ中での誕生だった。また、虎松誕生の1年後には直親が謀殺され、その翌年には再び当主を継いでいた曾祖父の直平も毒殺された。
 わずか3年間で当主を次々と亡くした井伊家の家督を継ぐ者は、幼い虎松しかいなかった。井伊家では虎松の母が直親の死後、再婚したため、虎松を養育できる者を模索。その時に登場してきたのが女性ながら井伊家を支えていた直虎だった。
 この期間の逸話として、昭和46年刊行の改訂「近江国坂田郡志」の第6巻には、「永禄7年4月から2カ月間、今川氏真の詮議を避けて、井伊万千代(虎松)が眞廣寺(米原市)に滞在した」と記されており、これが事実ならば、直政が幼少期にすでに近江入りしていたことになる。
 永禄11年(1568)に徳川家康が三河から遠州(遠江)に進出すると、井伊家が治めていた遠江は徳川家の支配下になった。虎松の命に危険を感じた龍潭寺の住職・南渓(なんけい)和尚は、虎松を奥三河の鳳来寺に逃がし、虎松は同寺で8歳から14歳ころまで、かくまわれたとされる。
 南渓和尚について、龍潭寺の前住職・武藤全裕さん(82)は「軍師のような役割を果たしていた」と解説。虎松が15歳になった天正3年(1575)に直親の13回忌法要が営まれた際、直虎や南渓和尚らは虎松を家康の家臣にさせることを決断した。直親と親交があった家康は、自身の幼名・竹千代にちなんで、虎松に万千代を名乗らせ、300石を与えた。
 万千代はその後も家康の元で武功を立て、本能寺の変が起こった天正10年(1582)の11月、元服した万千代は直政と名乗り、武田家の家臣団が井伊家に加えられ、赤備えが誕生。直政は「井伊の赤鬼」と呼ばれた。一方で、直虎は直政の出世を見届けながら、天正10年に死去。墓は龍潭寺境内の井伊家の墓所内にあり、直親の隣に眠っている。    
 井伊谷にある龍潭寺は奈良時代に行基菩薩が開いたと伝えられている。
 元々、井伊谷の地域は「井の国の大王」が聖水祭祀を務めた「井の国」の中心地とされ、水にまつわる伝説が多く残るという。
 平安時代には井伊家の祖・共保が生まれ、遠江の有力武士となった。同寺の近くには共保が近くで生まれたとされる「共保出生の井戸」がある。その後、井伊家は鎌倉時代に源頼朝に仕え、南北朝時代には後醍醐天皇の皇子・宗良親王を城に迎え、北朝軍と戦った。同寺に隣接する井伊谷宮には宗良親王がまつられている。
 室町時代には、井伊家二十代・直平が帰依した黙宗瑞淵和尚を新たに同寺の開山として迎えたことで、遠州地方に臨済宗が広められた。
 同寺の1万坪(3万3000平方㍍)余りの境内には、彦根藩四代・直興が延宝4年(1676)に再建したという本堂、元禄15年(1702)に建てられた開山堂、共保・直盛・直政の座像や直弼の位はいなどが安置されている霊屋などの建物がある。庭園は長浜出身の文化人・小堀遠州が江戸時代初期に造った池泉鑑賞式。彦根藩二代藩主・直孝の依頼で造ったとされる。昭和11年に国の名勝に指定されている。
 大門と仁王門の間
にあるご神木のナギの木は樹齢約400年とされる。井伊家存続が危ぶまれていた時代、直政の母は境内の松岳院内に身を寄せながら、地蔵を境内にまつり、その隣に息子の無事の成長を願って、ナギの木を植えたという。
 平成22年10月16日には、浜松市で開かれていた「奥浜名湖『井の国』千年祭」にひこにゃんが訪問。橘(たちばな)の幼木を龍潭寺の入り口に植えた。
 なお彦根市古沢町の龍潭寺は、慶長5年(1600)に直政が佐和山城主となったのを機に、昊天禅師を招いて山麓に建てられた。こちらの庭園も遠州が造園に関わった。
 このほか、井伊家の城としては井伊谷城があり、直虎らもこの城を拠点にしていたとみられる。現在は井伊谷城跡城山公園として整備されている。
 そして、山下には井伊家館跡(井伊城本丸跡)に残る「井殿の塚」があり、今川家によって謀殺された井伊直満・直義兄妹の輪塔がある。
 (※=この特集記事は本紙平成28年の元日号で掲載した内容です。)

2017年元日号のクイズの答え

滋賀県護国神社で画家の大串亮平さん作品展、ギャルリーオー企画

$
0
0
 彦根市尾末町の滋賀県護国神社の斎館で6日から、画家の大串亮平さん(40)の作品展が始まった。ギャラリーを運営している「ギャルリーオー」(大津市)が企画した出張ギャラリーの第1弾として開催。
 大串さんは京都出身で、佐賀県立佐賀北高校、京都精華大学日本画専攻を卒業後、全国各地のギャラリーなどで個展やグループ展を開催。護国神社での作品展ではシャクナゲ、桜、カキツバタなど花のほか、タカと松、モズとボタン、ホオアカとザクロ、カワセミとハスなど、鳥と花を組み合わせた作品を含め計19点を展示。いずれも絹本に描かれており、掛け軸にして販売もしている。
 ギャルリーオーでは県内にギャラリーが少ないことから、休館期間を活用して今年から出張ギャラリーを企画。芸術作品の展示場として開放したい護国神社側との思いとも一致し、1月に大串さんの日本画、2月7日から堀乃布子さんのイラストを展示することにした。
 ギャルリーオーの代表・加藤晶子さん(38)は「色んなジャンルの作家さんがいることを知ってもらうきっかけになればと思い、出張ギャラリーを企画しました。多くの方に作品を見てほしい」と話している。大串さんの日本画展の開館時間は午前10時~午後5時(最終26日のみ午後4時まで)。月曜のみ休館。

切通口から櫓門が建っていたことがわかる石垣や礎石を発見、地震で修理した跡も

$
0
0
 彦根市教委文化財課は、佐和町で発掘調査をしている切通(きりとおし)口から、櫓門が建っていたことがわかる石垣や礎石を発見したと発表。彦根城の外堀の7つの城門では初めての具体的な遺構の確認となる。22日午後1時半~現地説明会を行う。
 文化財課は昭和54年度から旧外堀に関する発掘調査を実施しており、市道の拡幅工事に伴って切通口を調査。本発掘となる第6次調査を昨年10月26日から今年3月下旬まで、松吉前の第1調査区60平方㍍と純正寺前の第2調査区約31平方㍍で行っており、そのうち第1調査区の36平方㍍の調査を終えた。
 試掘の第5次では切通口の石垣や雁木(石階段)、土塁の基底部などが見つかったが、より深く発掘した第6次では門の柱を支えていた礎石や、長さ約9㍍のL字型の石垣、栗石などが確認。これらの遺構や天保7年(1836)の御城下惣絵図から、櫓門形式だったことがわかった。櫓門の形状は重要文化財の太鼓門櫓に近いという。
 石垣は外堀が築かれた元和年間(1615~24)と、後の時代に築かれた加工した形跡がある石の2種類あり、後の時代の石垣は享和2年(1802)12月22日の彦根大地震で切通口の一部が壊れ、修理されたとみられる。最も大きい石は元和年間時代の1㍍×90㌢×高さ60㌢。
 切通口は藩主らが彦根と江戸を行き来する際に必ず通過する城門の1つで、格式高く見せるために櫓門にしたと考えられる。御城下惣絵図によると、外堀の7つの城門で櫓門は高宮口や池州口でもその可能性があるが、確定したのは切通口が初めて。
 文化財課では「近世城郭の外堀の城門跡が検出されるのは全国的に見ても希少なため、極めて貴重な遺構。江戸時代の彦根城の石垣修理の内容も確認でき、重要な発見だ」としている。
 今後発掘を行う第1調査区の残りや第2調査区では土橋や外堀、暗きょ、江戸期の上水道管の跡が検出される可能性がある。22日の現地説明会の集合場所は護国神社前の市道予定地。午後3時まで順次、全体説明を実施する予定。参加無料。雨天決行。問い合わせは文化財課☎(26)5833。

ひこにゃんへの年賀状 過去最多に

$
0
0
 ひこにゃんへの年賀状が6日午前で計1万1769通届き、年賀状を前にひこにゃんも喜んでいた。また市は19日、ひこにゃんへの年賀状が過去最多の1万4375通になったと発表した。
 ひこにゃんへの年賀状は彦根城築城400年祭の翌年の平成20年から届き始め、その年は最終的に1762通だったが、同22年の1万3036通以降、1万通超となっており、同26年が1万4303通(これまでの過去最多)、昨年が1万3841通だった。
 今年も3年連続で全都道府県から届き、例年と同じく、大阪が最多の2068通で、次いで滋賀(1856)、京都(977)、兵庫(873)、東京(856)となっている。彦根市内は308通。海外は台湾からが2通だった。
 はがき以外では、2年連続で今年のえと・酉柄の木製羽子板や、水戸市のみとちゃんや宮城県仙台市のむすび丸などのキャラ仲間からも届いた。メッセージには「『おんな城主直虎』や『彦根城築城410年祭』が始まりますね。井伊家や彦根城のPRを全力でがんばってください」と書かれたものや、ペットとして飼っているネコや鳥など動物からのメッセージを飼い主が代筆した年賀状もあった。
 ひこにゃんからは、今年も住所が分かる相手に彦根城の入場券付きはがきで、ひこにゃんが3パターンのポーズをとったうちの1パターンずつが返信される。

オーケストラ・アンサンブル金沢のメンバーらが彦根市内の中学生たちに演奏の基礎を教える楽器クリニック

$
0
0
 「夏川りみ&青島広志withオーケストラ・アンサンブル金沢」の演奏会を前に、OEKのメンバーらが彦根市内の中学生たちに演奏の基礎を教える楽器クリニックが15日、西中学校で行われた。
 当初は市内7中学校の吹奏楽部員約100人が参加する予定だったが、降雪のため4中学校の45人が午前と午後の部に分かれて体験。来校したOEKのメンバーらは、フルートの松木さやさん、クラリネットの松永彩子、トランペットの藤井幹人、ホルンの金星眞さん、トロンボーンの喜井宏さんで、各教室に分かれた生徒たちに楽器の扱い方などを教えた。
 ホルンの教室では「音を変えるためには唇ではなく、口の中で音程を調整させるのが大事」、クラリネットの教室では「吹く際はいすの半分ほどを残して座り、両足をしっかりと地面につけ、自分の指を見ないこと」などのアドバイスを受けていた。クラリネットを習っていた東中1年生の小川雛乃さん(12)は「吹き方やくわえ方、角度、構え方など勉強になりました。これからの演奏に生かしていきたいです」と話していた。

観光船を井伊家の赤備えにちなんで改装し「直政」と命名

$
0
0
 近江トラベルは彦根港から運航している観光船を井伊家の赤備えにちなんで改装し「直政」と命名。9日に就航披露と試乗会を行った。
 8日から放送が始まったNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」と、3月18日に開幕する彦根城築城410年祭に合わせて、160人乗り・62㌧の観光船「第5わかあゆ」を赤備えの甲冑をイメージして改装。外観は赤地を基調に、橘や井桁の家紋、直政の文字を金色でデザインしており、内装も家紋を配している。
 9日に彦根港で行われた記念式典には大久保貴市長や彦根商工会議所の小出英樹会頭、彦根鉄砲隊の隊員ら約50人が参加。近江トラベルの植田重弘社長が「2年前からリニューアルを考えていたが、大河ドラマや築城410年祭に合わせて決断した」とあいさつした後、大久保市長が「湖上から美しい彦根城を『直政』と一緒に眺めて頂きたい」、小出会頭が「『直政』を活用し、官民に市民も加わって盛り上げていけると確信している」と述べた。
 「直政」は3月1日から竹生島までの2便と多景島までの1便で登場する。問い合わせはオーミマリン☎(22)0619。

滋賀中央信用金庫 本部を小泉町に新築する5階建ての建物に移転へ

$
0
0
 滋賀中央信用金庫が彦根市中央町の本部を、小泉町に新築する5階建ての建物に移すことがわかった。
 滋賀中信は大正3年8月18日に彦根信用組合として設立。その後、彦根信用金庫に改め、平成16年7月には彦根信金と近江八幡信金が合併し、滋賀中信となり、中央町に本部、近江八幡市に本店を設置。現在は彦根市から草津市まで計30店舗ある。本部の建物は合併前の彦根信金時代の本店だった3階建てで、今年で築50年。
 滋賀中信は建物の老朽化やセキュリティ対策、機能面、防災面などの点から新築移転を計画していたところ、ビバシティ彦根前にある彦根百貨卸商業協同組合の建物群のうち、同様に移転を計画していた2店舗を含めた敷地への新築移転が決定した。
 新しい建物は2店舗と店舗裏の駐車場、百貨卸の組合事務所分の計約6000平方㍍の敷地に、5階建ての延べ約1000平方㍍で建設。完成予定時期は2020年5月。百貨卸の組合事務所の2階建ての建物はそのまま活用される。新しい本部には中央町の現在の機能のほか、近江八幡市の本店の営業推進部や事務管理部、監査部も移され、本部機能を充実させる。
 最上階には約300人が入れる開放スペースを設けるほか、ベンチャー企業や学生の起業支援向けなどの部屋の設置も検討中だ。
 滋賀中信の沼尾護理事長は「学生向けに魅力ある就職先を創出する地(知)の拠点大学による地方創生事業(COC+)にも力を入れていきたい。新しい本部は彦根の景観に合った建物にしたい」と話している。
 なお現在の本部の建物は支店か出張所として活用される。

「夏川りみ&青島広志withオーケストラ・アンサンブル金沢」の演奏会29日に文化プラザで

$
0
0
 「夏川りみ&青島広志withオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)」の演奏会が29日午後2時~文化プラザグランドホールである。
 夏川さんは沖縄県石垣市出身。平成11年にデビューし、2年後の「涙そうそう」は大ヒットし、翌年には紅白歌合戦にも出場した。青島さんは東京芸大と大学院修士課程(作曲)を首席で卒業し、これまでに作曲した作品は200曲以上だという。
 青島さんが指揮、OEKが管弦楽の演奏を務め、第1部では青島さんの案内による湖と城の名曲集として「連作交響詩 わが祖国より モルダウ」「琵琶湖周航の歌」「冬景色」など、第2部では「涙そうそう」など夏川さんの名曲が披露される。合唱には彦根児童合唱団といなえ少年少女合唱団も登場する。
 料金は1階が5000円~5500円、2階が3000円~5000円。未就学児の入場不可。南彦根駅西口から無料の臨時バスあり。チケットは文化プラザ、ビバシティ、アルプラザ、県立文化産業交流会館などで。問い合わせはNPO法人ひこね文化デザインフォーラム☎(23)3383。

鳥居本中の生徒たちが雪上アート、グラウンドに積もった雪を使って石田三成の旗印「大一大万大吉」を描い

$
0
0
 佐和山城跡のふもとにある彦根市立鳥居本中学校(山田孝校長)の生徒たちが16日、芝生のグラウンドに積もった雪を使って石田三成の旗印「大一大万大吉」を描いた。
 昨年度、赴任した山田校長がグラウンドに積もった雪を見て「白いキャンパスのようだ」と思い、雪上アートを考案。昨年度は鳥居本中で実施している年賀状コンクールの作品を参考に、富士山からの日の出をグラウンドに描いた。
 今年度も生徒たちから降雪時には描きたいとの要望があり、先週末からの雪で「白いキャンパス」になったグラウンドに美術の時間を利用して、1年生18人と2年生14人、教員5人が約50㍍四方に90分かけて「大一大万大吉」を描いた。
 鳥居本中は平成22年6月にグラウンドが芝生化されているため、雪が溶けると「大一大万大吉」の文字が浮かび上がるよう、文字の回りに雪を約20㌢積み上げる方法で制作した。
 山田校長は「昨年も体験した2年生たちからは1年間で最も思い出に残ったとの声も聞いた。雪が溶けて文字が見えるのが楽しみ」と話していた。

母親たちに内職をしてもらいながら交流の場を提供する斬新な子育て支援を行う会社・BCOM(ビカム)設立

$
0
0
 伊藤仏壇(彦根市芹川町)の仏事コーディネーター・伊藤義孝さん(33)が、子育て中の母親たちに内職をしてもらいながら交流の場を提供するなど、斬新な子育て支援を行う会社「BCOM(ビカム)」を設立。その活動に母親たちをはじめ、企業なども注目し始めている。
 伊藤さんは2歳、4歳、6歳の子どもがいるが、草津市出身の妻・未来さん(35)が子育ての最初のころに土地勘がなく、頼れる友人がいなかったため悩む姿を見て、「仕事が忙しくてサポートできない自分にもどかしさを感じていた」という。
 この経験から、子育て中の母親が社会復帰するまでの期間のサポートが必要だと思い、▽親子向けの「イベント」▽簡単な内職をして給与を支払う「仕事」▽市内の「お得情報」―を提供する取り組みを考案。「土台をしっかりして継続する必要がある」として、昨年11月21日に株式会社として設立した。社名のBCOMは「Business Coming to Mom」の略で「ママに仕事が舞い込んできますように」という意味。
 伊藤仏壇の店舗3階の約165平方㍍に、キッズスペース、カフェスペース、内職の作業場を整備。絵本シアターやお金の使い方講座などのイベント、シール貼りや簡単な物作りなどの内職の場を定期的に設けている。ほかに親子連れで行ける飲食店などでの特典情報をラインで提供するサービスもしている。ビカムの公式のラインに登録すると、イベント、仕事、お得情報が配信される仕組みで、現在110人の母親が登録している。
 伊藤さんは「ママ同士でイベントへの参加や内職で交流しながら、子育ての悩みの解決にもつなげてほしい。色んな地域でこの取り組みが広まっていけばと思う」と話している。企業からの内職や協賛できる店舗も募集している。問い合わせはビカム☎(22)4546。
Viewing all 1894 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>